あのタックル問題に憤る自分に気づいて驚いた
――世間的にはちょうど中学高校のブラック部活問題が話題になり、日大アメフト部の反則プレーをきっかけに体育会的な一側面が批判を浴びていますが、そうした時代背景が反映されているのでしょうか。
額賀 ブラック部活は、由々しき問題だと思います。私はアメフト部が問題になった日大のOGで、同じ学科の大先輩には林真理子さんや吉本ばななさん、群ようこさんなどがいらっしゃいます。卒業生の多くは、「日芸」はともかく、日大に対する母校愛はあまり無いと思って生きてきた人が多いと思うんですが、あのタックル問題に憤る自分に気づいて、「結構(母校愛が)あったんだな」と驚いています。
『風に恋う』の取材で、箱根駅伝で活躍した中央大学陸上競技部の舟津彰馬選手や、進学校である越谷北高校吹奏楽部の部員達に話を聞いて、「今の若い子、なんてちゃんとしてるんだ!」って驚いたんです。部活はもちろん、勉強もとても頑張っているし、将来のこともちゃんと考えている。日大の怪我をさせてしまったアメフト選手も、あんなにちゃんと記者会見ができる、負傷した関学の選手のマスコミ対応も立派で、ちゃんとしていないのはむしろ大人の方。多分、一連の日大の騒動には、「一つの大学の不祥事」では収まらない、社会が抱えるさまざまな問題が凝縮されている。だからこそ、ワイドショーのトップニュースになったんですよね。
――高校部活はたった3年間なのに、その後の人生の価値観を左右するところがありますよね。ちょっと、不思議です。
額賀 社会が部活に重きを置きすぎですよね。「部活すばらしい!」と神聖視する人たちが大勢いて、その人たちと今の感覚が釣り合っていないのかなと思います。
最近は部活動も、週○日は必ず休みにするとか、夏休み中も○日はちゃんと休みにするとか、勉強や将来のこともちゃんと考える心のゆとりを持ちながら部活を頑張りましょう、という動きが活発になっています。これって、ゆとり教育と考え方が凄く近いと思うんです。「ゆとり教育は失敗だった」と考えている人達は、きっと「ゆとり部活なんてけしからん!」と憤慨しているでしょうね。
私は『拝啓、本が売れません』で書いた通りゆとり世代ですし、今となってはゆとり教育に感謝しているんです。私はゆとり世代だったから小説家を目指したし、小説家になれたんだと思っているので。
吹奏楽でもスポーツでも何でも、「何かに夢中になって、目標に向かって必死になること」が人間を大きくすると思います。でもそれは「それ以外のものを排除してまでやらないといけないもの」じゃない。人生はそんなブラック企業みたいなものじゃない。ましてや今の高校生なんて、考えないといけないことややらなきゃいけないことが膨大にあるんですよ。そこには、個人の状況や、将来の目標に合わせた選択肢があっていいはずなんです。「部活を頑張る」も選択肢の一つだし、「それ以外のものを頑張る」のだって選択肢の一つ。「頑張らない」って選択肢だってあっていい。頑張りたい人は頑張りたいものを頑張ればいい。そこに正しいも正しくないもないし、自分と違う人を排除する必要だってない。
でも、それを受け入らられない人もいる。頑張ること=正義だと、部活動を神聖視してしまうのはとても危険だと私は思います。それで追い詰められている生徒や保護者もいるでしょうし、辛い思いをしている教員だってたくさんいるわけです。