「人のマネジメントができないんです」
友寄氏は茨城大学の農学部を卒業後にフリーのディレクターを経て、03年にテレビ朝日に入社した。
「制作現場でのあり余る熱意が評価されて、テレ朝に中途で入社した異色の存在です。『いきなり!黄金伝説。』ではよゐこの濱口優さんに無人島0円生活をさせる企画が視聴者に大ウケ。その活躍が評価され、ゼネラルプロデューサーに昇進しました」(同前)
ところが、管理職となった友寄氏の評判は芳しくない。
「彼はいかんせん人のマネジメントができないんです。自分の目指すものを部下に押し付けるため、部下は長時間働かなくてはならず、ロケも過酷になる。現場は疲弊していました」(別のテレビ朝日社員)
会社が友寄氏を遇した“異例の肩書”
そんな背景があってか、会社が友寄氏を遇したのが、現在の〈エグゼクティブディレクター〉という肩書だった。前出資料には〈エキスパート職〉とも書き添えられている。
「この肩書は、部下の管理をしないで制作現場などで専門的な仕事に専念するという社内に数人しかいないポジションです」(同前)
こうした異色のポジションを得ていたナスD。バラエティ畑にいるにもかかわらず、報道番組の「有働Times」にも出演するなど、特別待遇だったと言っても過言ではない。意外な後ろ盾もあったという。
「ナスDが引き立てられた理由の一つは、テレ朝の“ドン”といわれる早河洋会長(81)のおぼえがめでたいことです。09年に生え抜き初の社長就任後から会長となった現在まで長期政権を築いており、早河氏の権力は絶大。そんな早河氏は数字を持っているナスDをたびたび絶賛していました」(同前)
実際、早河会長は17年の会見で「考えていた以上にナスDの活躍が話題になっている」などと述べ、ナスD番組を異例の早さでプライム帯に昇格させる趣旨を説明していた。
「つまりナスDは下への当たりはきつく、上からの評価は高い。そんな彼の扱いに現場は困り、エグゼクティブという名の専門職に据えたのでしょう」(同前)