オリバー君の招聘、ネッシー探検隊の仕掛人にして自称「虚業家」の康芳夫(1937〜2024)。小説家の島田雅彦氏(64)が新宿の酒場での思い出とその“異(偉)業”を語る。
康芳夫が中国人の医師と日本人妻の第二子として西神田に生まれた頃、中国は日本占領下にあり、国共内戦の只中にあった。そのルーツは中国安徽省にあると生前に本人から聞いたが、自身は根っからの東京っ子で、怪しい中国人ぶりはあくまで自己演出の手法だった。
私が新宿の酒場デビューを果たしたのは22歳の折、1983年だったが、寺田博『海燕』編集長のはしご酒のお供をしていると、2回に1回は遭遇していたのが康芳夫その人だった。レゴの兵隊を思わせる大きな頭、長髪、ピンクのスーツに鰐皮のベルト、時々、中国服という、自分からキワモノの看板を掲げているような出立ちゆえ、私の恐怖と好奇心の対象になった。アントニオ猪木VSモハメド・アリの世紀の一戦の仕掛け人だということは聞かされていた。私は世紀の一戦を高校時代に見ていたが、リングサイドにいた異形の人物にも密かに注目していたので、新宿で遭遇する前から彼に興味があったのだ。やがて、ネッシー探検隊を結成したのも、トム・ジョーンズやオリバー君を招聘したのも彼だと知り、俄然興味が湧いた。

編集長のみならず、古井由吉、西部邁、柄谷行人、中上健次といった面々も康芳夫には一目置いていた。ちょうど、その頃、康芳夫は「ノアの方舟探索プロジェクト」を立ち上げていた。たまたま私もトルコを旅し、アララト山の中腹にある「ノアの方舟漂着跡」(眉唾)を訪れていたので、その時に採取した石を康芳夫にプレゼントしたら、すごく喜んでくれ、以来、親子の年齢差があったものの親交を結ぶ恩恵に恵まれた。このプロジェクト自体は実現しなかったのだが、その狙いを訊ねると、「聖書やコーランにも出てくるノアの方舟探索をアジア人の手で成し遂げたかったんだよ」と語ってくれた。
東大在学中に五月祭の企画委員長を務め、ジャズのライブや文化人講演会を催したのが、プロデューサーの事始めになっているようだが、海城高校在学中から、抗争中の不良少年グループを和解させたりしていたというから、表社会でも裏社会でも交渉人になるべくして生まれたのである。ボリショイ・サーカスの興行などで知られた神彰と仕事を共にしたが、のちに独立し、「一人電通」の称号を得るほどの奇跡的な興行を成功させた。世紀の対決の際にはモハメド・アリを口説くために自らブラック・ムスリムに加盟し、コネを作ったというから、ほとんど維新の志士みたいな行動力である。興行には大きなリスクが伴い、実現に至らなかった場合の損失は計り知れないが、その危機を何度も乗り切り、87の天寿を全うできたのは、強運というだけでなく、生命力の強さや過剰ともいえる楽観主義に救われていたのだろう。
虚業家を自認し、フェミニストの紳士として振る舞う謙虚さと、会ったことのある人は誰でも君付けで呼ぶ不遜な態度が表裏一体になっていた。ドロン君、ミック君、大江君が誰のことかは想像がつくだろう。出版業界でも活躍し、特に『家畜人ヤプー』の派手なプロモーションで目立っていたが、挫折した左翼の溜まり場たる新宿に出没し、面白半分に言論のテロリズムを焚きつける。それが独特の癒し芸になっていた。お気に入りの若手の小説や評論をこまめに読んでは、その感想を本人に伝え、エールを送り、シャンパンを奢るその立ち居振る舞いは古き良きパトロンのようだった。

その顔の広さを頼った時のことを鮮明に覚えている。アメリカの小説家の友人から、雑誌『ニューヨーカー』の仕事で、日本のヤクザを取材したいので、組長を紹介してほしいと無茶振りされた際、康芳夫なら親分の一人や二人は知っているだろうと思った。面白そうなことは放っておけない康芳夫は「住吉会のナンバー2を紹介してあげるよ」と気軽に応じてくれ、面談が成立した。こちらは約束の時間の20分前には待機していたが、康芳夫が遅刻してきたので、冷や汗をかいた。親分を怒らせることなく面談は無事に終わったが、数年後、その親分が割腹自殺したと康芳夫から知らされ、唖然とした。興行師の業務上、ヤクザとの関わりも深かったと思われるが、その度胸の据わり方にこそ「一人電通」の矜持を見る。今はデマと誹謗中傷で世論を掻き回すチューバーやブロガーが猖獗を極めるが、彼らに最も欠けているのは仁義であり、それを最後まで貫いた康芳夫には遠く及ばない。
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