「ヤジ将軍」などと呼ばれ、保守合同を成し遂げた三木武吉(ぶきち、1884〜1956)。『三木武吉の裏表 輿論指導か世論喚起か』(創元社)の著者・赤上裕幸防衛大学校准教授が三木の政治家としての特徴を語る。
令和のいま、三木武夫は知っていても、三木武吉を知らない人は多いかもしれません。武夫と違い、首相経験もなければ閣僚経験もない。しかし、1955年の自由民主党結党に鳩山一郎と共に尽力した彼は、「偉大なる変人才人」に最も相応しい政治家だと私は考えます。
まず、経歴からして異端です。香川の高松に生まれ、法律家を目指して上京、東京専門学校(現・早稲田大学)に入学します。卒業後は日本銀行に入りますが、桂太郎内閣の退陣を要求する演説をし、服務規定違反に問われ免職。弁護士を経て政治の道へ進みます。憲政会に所属し、1917年の衆議院選挙で初当選して以降も、東京市議を兼任したり、報知新聞社の社長を務めたり、公職追放の憂き目に遭ったりと、波瀾に満ちた人生を送ります。

政治家としては基本的に保守の立場を貫きます。諸外国から日本が独立し、アジアで中心的な役割を果たすべきだという政治思想でした。
「ヤジ将軍」「政界の大狸」「寝業師」など、幾つもの二つ名がありました。残された写真は細身でフォトジェニックと、狸とはほど遠い外見ですが、とにかく口がうまかった。厳しく𠮟咤したかと思えば、巧みに相手の懐に入る言葉もかける。ヤジで議場を沸かせることも多かった。
三木は報知新聞社の社長だった1942年の翼賛選挙の際に、翼賛政治体制協議会の推薦を辞退し、非推薦で出馬。政界復帰を果たしますが、自分が主流に乗っていないことを痛感し、潮目を変えるべく保守合同の未来を思い描いたとされます。
そして1954年、日本民主党の総務会長として、盟友の鳩山一郎や岸信介らと第五次吉田茂内閣を総辞職に追い込みました。第一次鳩山内閣が発足、翌年に三木は自由党のみならず他の保守政党にも呼びかけ、自由民主党の結党を成就させます。
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