井上日召 父・井上日召が語った南京と原爆

井上 涼 井上日召の長女
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 日蓮宗の僧侶だった井上日召(いのうえにっしょう)(1886―1967)は、血盟団を結成し、政府指導者を暗殺することで国家改造を目指す「一人一殺主義」を唱えた。昭和7(1932)年、元蔵相の井上準之助、三井財閥の総帥、団琢磨を殺害した血盟団事件の首謀者として逮捕、無期懲役となる。五・一五事件にも大きな影響を与え、昭和15年の仮出所後は、近衛文麿のブレーンとしても活動した。長女の凉(りょう)さんが父の思い出を語る。

 私は大正14年生まれですから、血盟団事件が起きたのは、小学校入学をひかえた冬のことでした。

 事件の前から、父は「有縁(うえん)の地から法を説く」と称してあちこち飛び回り、ごくまれにしか帰ってきません。それでは暮しが立ちませんから、母は本郷で東大生相手に賄いつきの素人下宿を開いていました。その頃、私のいちばんの友だちは、父に師事していた久木田さんという文学部の学生さんでした。とても優しい人で、いつも森永の黄色いキャラメルを買ってくれたものです。その久木田さんも、幣原喜重郎外相の襲撃計画に加わり、後に病死されました。

 昭和7年3月に父が自首して、母と私はしばらく群馬の父の実家に戻りましたが、昭和9年には世田谷に移り住みました。「ここが井上の家か」と、塀の下の隙間から石を投げ込まれたこともあります。

井上日召

 母はずっと拘置所に通っていましたが、父が「凉子(父は私をこう呼んでいました)は神経が細いから、連れてくるな」と言うので、私が面会できたのは一度だけ。判決の日、死刑になればもう会えなくなる、と考えた母が、父の言いつけに背いて、私を連れて行ったのです。父の顔を見るなり、「お父ちゃん、早く帰って来て」とボロボロ泣いてしまったのを覚えています。

 看護婦だった母は、看護婦を派遣する看護婦会を開こうとしました。しかし、当時、電話を引くのに必要な1000円のお金もありません。そこで母が相談に行った相手は、右翼の領袖と呼ばれた頭山満(とうやまみつる)先生でした。血盟団事件で追われていた父を、自宅に匿(かくま)ってくれたのも頭山先生だったのです。先生は、「『看護婦などは高等淫売だ』と反対している者もおるが、わしはあんたたちの面倒をみてやれないから、反対はしない。少し待ちなさい」と言って、すぐに都合してくれたそうです。母は頭山先生のことを「富士山が座っているみたいだ。黙って相手の目を見て、すべてを見抜いてしまう」と言っていました。

 もう一人の恩人は、鈴木貫太郎首相とも親交が厚く、禅の高僧と謳(うた)われた山本玄峰(げんぽう)老師です。父はかねてから老師の教えを受け、法廷でも父の特別弁護を引き受けていただきました。私が母と、谷中の全生庵(ぜんしょうあん)にご挨拶にうかがった折に、「よう来た、よう来た。かわいそうになあ、随分苦労したろう」と声をかけてもらい、涙が止まらなかったことを思い出します。

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source : 文藝春秋 2007年9月号

genre : ニュース 社会 政治 昭和史