中国とのデフレ競争から距離を置き、「規模の経済」を摑み取れ
橋本 私は普段、メディアの取材をあまり受けませんが、今日は齋藤さんとの対談を楽しみにしてきました。ご著書の『世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ』(文春新書)を最初に読んだ時は、「我が意を得たり」と思いましたよ。何度も読み返して、部下にも「参考にするように」と薦めています。USスチール買収の件では、経営者仲間から「ビジネスに米政府が介入してきて、頭にきたでしょう」などと、いろんなことを言われましたが、みんなこの本を読んで、だんだん認識が変わってきました。
齋藤 本当にありがたいお言葉です。いま、東西冷戦後の世界秩序を支えてきた「新自由主義的な世界観」の巻き戻しが起こっています。1990年代以降、世界標準のシステムとなったのは新自由主義です。世界を一つの大きな市場として捉え、産業を世界中に分散させ、最も効率的なサプライチェーンを築いてきました。
世界が一つだとすれば、ピッツバーグだろうと上海だろうと、最もコストが安いところで鉄や工業製品を作ればいい。その上で米国はサービス業に注力し、付加価値を高めてきました。ただ、大事なことを見落としていた。新自由主義には、ピッツバーグと上海が安全保障面を含め、すべての条件が同じだという前提が必要です。しかし、これは絶対に成り立ちません。
結果的に、「世界の工場」として中国の台頭を許し、世界中で貧富の格差が拡大するなど、行き過ぎたグローバリズムの弊害が様々なところで顕在化しています。米国はサービス業に軸足を置いたことで、半導体など国家の存立を左右する製品を作れなくなり、中国と喧嘩しようとしてもできない。いわば“骨”や“筋肉”を失い、SF映画に出てくる、溶液の入った水槽に浮かぶ脳味噌だけのような国になってしまったのです。

いまは世界中で“ジャイアン”が“ジャイアン”らしく振舞って国際秩序を壊す時代です。その代表格がトランプ大統領と言えるでしょう。一見すると、相互関税などの“攻撃”は合理性がないように見えますが、その狙いは、国家の存立に必要な産業において、経済合理性を失わずに同盟国との間でサプライチェーンを再構築すること。トランプ氏がやっていることは、壮大な社会実験だと分析しています。
「2位じゃダメなんです」
橋本 おっしゃる通りで、これまでは自由な貿易と投資を守るWTO(世界貿易機関)ルールの下で、繁栄を享受する時代でしたが、いまや自国優位を目指して主要国が産業政策を競う時代に転換しました。今後も市場のブロック化が進む前提で海外戦略を考えなければなりません。私は2019年4月に社長に就任しましたが、その年末にはインドで製鉄所を買収しましたし、タイでも大規模な投資を行いました。
一方で、中国からは2024年、主要な事業の撤退を決めました。鉄鋼業界で中国は、世界の生産量の55%を占める最大市場です。ただ、中国で事業を行うには条件が二つあります。一つは内需のみを対象にして事業が成り立つか、もう一つは技術流出を回避できるか、です。世界最大手の中国宝武鋼鉄集団傘下の宝山鋼鉄との合弁事業を行ってきましたが、残念ながら二つの条件をクリアするのは不可能だと判断したのです。
今後は、中国以外の45%の市場で勝負せざるをえません。中国企業を除けば、粗鋼生産量の世界首位はルクセンブルクのアルセロール・ミッタルで、日本製鉄は2位。でも、2位じゃダメなんですよ。45%の市場で圧倒的1位にならないと、中国を含めて世界のトップには立てません。そのために、何としても手にしなければならない市場が米国でした。海外企業の買収は、USスチールで終わりではありません。

齋藤 世界中に製鉄業があるなかで、なぜ米国で買収をしようとされたのか、どのような分析で決断されたのか、教えていただけませんか。
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source : 文藝春秋 2026年1月号 USスチール買収と日本の勝ち筋 橋本英二×齋藤ジン

