庶民の生活になじみ深い郵便局はなぜ無理筋の保険営業に走ったのか。気鋭のジャーナリストがその騙しの内幕に迫った!
ブランドを逆手に取った不正
身近な存在だった郵便局員が無理筋の保険営業に走り、ダマしやすい高齢者を選んで不利益を与えていた。もとは国営事業のかんぽ生命保険で、郵便局という信頼あるブランドを逆手に取った不正が蔓延(はびこ)っていた。その事実だけでも、この“事件”の衝撃はかなり大きい。
今年6月下旬に一連の問題が大きく報じられた当初、かんぽと日本郵便を傘下に抱える持ち株会社・日本郵政は「法令違反があったとは思っていない」(長門正貢社長)などと高をくくっていた。
だが9月30日に公表した実態調査の中間報告によれば、顧客に不利益を与えた疑いのある「特定事案」は約18万3,000件あり、その契約者に電話や訪問で勧誘の状況や顧客の意向などの確認を進めている。9月27日までに顧客の意向を聞けたのは約3分の1の6万8,000件分。そのなかでは家族の同席を拒否させるなどの社内規定違反の疑いが約6,300件あり、うち約1,400件は虚偽説明などの法令違反の疑いもあるという。
さらに契約者2万6,000人が旧契約の復元などを求めており、かんぽ側は契約の復元や保険料の返金を検討している。年明けからの本格営業をめざし、年内に最終的な調査結果を取りまとめたい考えだ。
不必要な保険で不利益を与え、不正を行った疑いのある件数は、これだけでも相当な規模である。
だが、実態調査の対象となる特定事案は、同じ契約者と同じ被保険者で旧契約を解約し、新契約を結んだ「乗り換え契約」に限られる。二重払いとなったり、無保険期間ができたり、新たな保険に加入できなかったりするなど、書類上も顧客に不利益を与えた疑いがあるものに絞ったためだ。
しかし、法令や社内規定に反する不正が疑われる事例は、約18万件の他にも多数あるとみられている。
2時間も粘られて契約変更
東京都日野市で保険代理店を営む坂部篤志さん(55)と、その母親(78)の体験を紹介する。
始まりは一本の電話だった。
「保険の契約内容の確認をさせてください」
八王子市の実家で1人暮らしの母親のもとに、八王子郵便局の局員が電話をかけてきたのは2017年夏だった。母親にはこのとき、あと1年半で満期を迎える養老保険があった。長男の篤志さんに479万円の死亡保障をかけ、満期時に同額を受け取る契約で、保険料は払い込み済みとなっていた。
かつては保険料を集金に来る顔なじみの郵便局員がいた。簡易保険が提供する旅行に参加したこともある。郵便局には親しみがあり、信頼も厚かった。契約内容を確認したいと言われれば、断る理由はない。
電話のあと、30〜40代とみられる郵便局員2人が自宅にやってきた。17年8月3日午後のこと。母親は2人を家の中に上げなかったため、2人は狭い玄関先で靴も脱がず、母親の死後に「相続争いになるかもしれない」「残す財産に名前をつけたほうがいい」といった話を一方的に始めたという。
養老保険の保険金受取人は、母親になっていた。19年2月の満期を迎える前に母親が亡くなると、満期保険金は長男の篤志さんと次男の2人で相続する。トラブルを未然に防ぐには手を打ったほうがいい、というのが郵便局員の主張だった。
満期保険金の受取人を自分から長男と次男に変え、250万円ずつ分配される――。母親はそう理解し、2人の提案を受け入れた。その時点で、保険勧誘には必須の契約概要書は示されていない。479万円の満期保険金が、なぜ計500万円となるのかはよくわからなかった。「払うお金はないよ」「(内容に)納得できていないよ」と伝え、その後の説明を聞いても「金利か何かで増えるのかな」と思った程度だ。
求められるまま、複数の書類にサインした。わずか2平米ほどの玄関先での説得が2時間にも及び、早く帰ってもらいたいという気持ちも働いた。「同席拒否」と書かれた紙を見せられ、同じように書き入れるよう指示された。「ぜんぶ『いいえ』に丸をして」と言われて記入した書類が、病歴などの告知書であることは後から知ることになる。
最後は管理職の上司も合流し、3人が玄関先にひしめき合い、携帯用のプリンターで書類を印字。母親は3人が引き上げてホッとした。
しかし、郵便局員が置いていった書類を見返すと、養老保険が解約され、新規の終身保険2本が契約されていることに気づいた。250万円の死亡保障を母親につけ、長男と次男をそれぞれ保険金の受取人とする契約が計2本あった。
2本で計500万円の死亡保障に対し、払込保険料の総額は659万円に上る。保険の解約で得る471万円のほとんどを10年分の保険料にあて、86歳からの4年間は毎月約4万円、計200万円近い保険料を払う内容だ。
「同席拒否」と書いた資料は、70歳以上の顧客は家族を同席させるのが原則なのに、それを自分が拒否したと認めるもの。告知書はA3判で、記入時は2つ折になっていて質問事項を見ていなかった。入院歴などはないが、服用している薬はあり、告知義務違反となりかねない。
母親は勧誘した郵便局員に電話し、「200万円も保険料を払えるはずがない」と訴えたが、局員に「それなら(払わずに保険金額を引き下げる)払い済みとすればいい」と突き放され、車で20分ほどの場所に住む篤志さんに相談した。
「なんでこんな保険を無理に契約させたのか、話を聞くうち怒りで身体が震えましたよ」と、篤志さんは振り返る。
顧客をクレーマー扱い
契約から3週間後の8月24日、郵便局員を自宅に呼んだ。保険代理店を営む篤志さんが、告知書の質問を見せなかったこと、同席拒否と書くよう指示させたことなど、問題点を列挙して問い詰めた。
郵便局員2人は当初、「契約内容は何度か説明したが、ちょっと説明不足だったのかな」と釈明したが、同席拒否の指示は「そのような形で書いてとお願いした」「その場で確認しなければいけなかった」などと認めた。契約概要書は「最後にちょっと印刷した」と説明し、告知書に書くべき項目をほとんど確認していないことも否定しなかった。
篤志さんが「いつもこうなの?」と問うと、2人の局員は「そんなことはない」と否定したが、「母への勧誘はおかしくないの?」と何度きいても押し黙るだけだった。
養老保険の解約で受け取る返戻金は、満期で保険金を受け取る場合より8万円少なかったという。篤志さんへの死亡保障も短くなった。
一方、新規の契約は約460万円を10年分の保険料として払い込み、計500万円の死亡保障が母親自身につくが、10年後から多額の保険料を請求される。やや雑に評価すると、母が早くに亡くなれば得になり、長生きするほど損になる。
返戻金は一時的に母親の銀行口座に振り込まれ、新たな保険料をかんぽに払わなければ、新たな契約は無効にできる。ただ、8万円とはいえ、受け取るお金が少なくなったのはいったい誰のせいなのか。
坂部さんは解約や新規契約の無効を求め、かんぽ生命のコールセンターにも直訴した。9月には、かんぽのお客さま相談室の担当者が、母親の事情を詳しく聴いていった。
かんぽのお客さま相談室から、17年10月3日付で文書が届いた。強引な解約・契約手続きから、ちょうど2カ月後。その内容に坂部さん親子は再び驚くことになる。
文書によると、担当の郵便局員は、▼母親のほうに「解約」と「新規契約」の意向があった、▼家族の同席を何度か頼んだが、母親が「同席が難しい」と言い、当日中の手続きを希望した、▼A3判の告知書は片側が垂れ下がっていた――と主張しているという。
かんぽは「主張が対立している」と認めつつ、自社の「検討結果」として、▼解約・契約は重要事項などをきちんと説明して手続きした、▼家族が多忙でも同席をもっと案内すべきで、告知書が垂れ下がっていて見にくかった点では「配慮不足」だった、などとしている。
そのうえで、坂部さん親子の希望に沿って、旧契約の復元と新契約の無効化を認める和解案を提示。ただし、「第三者に口外しない」というのが条件だった。
それで被害が回復するならいいか、と思う人もいるかもしれない。
しかし、母親の立場に立てば、どうだろうか。かんぽ生命の「検討結果」は、肝心の対立部分では郵便局員の主張を採用し、母親のほうが解約・契約を希望し、手続きを焦って家族の同席を拒否したと結論づけた。これでは郵便局員の作り話が事実で、あたかも自分がウソをついているクレーマーと認定されるようなものだ。第三者に口外しないという条件も、かんぽに都合の悪い話を口止めされているように感じられた。
実は篤志さんは、8月24日の郵便局員とのやり取りをiPhoneで録音していた。1時間半超に及ぶ録音内容を聞き直し、問題を認めるような発言を抽出。音声データとともに11月にかんぽへ送り、再調査と謝罪、郵便局員の処分を求めた。
だが、かんぽからの12月1日付の回答は「録音を確認したところ、お気持ちをさらに害した」とするのみで、「再調査などには応じられない」と記されていた。
さらに和解案の有効期限が過ぎた昨年1月12日付文書では、「和解は不調として対応を終了する」と通告。同封の返信用封筒で和解案の紙を送り返すよう求めていた。
八王子郵便局長が交代したと知り、昨年4月に郵便局長あてにも手紙を書いた。だが、返信はかんぽ生命と日本郵便のお客さま相談室から届いた。郵便局員の証言は「不自然な点はなく、虚偽の証言とは考えていない」とし、母親が解約や契約を求め、母親の希望で手続きを急いだとの認識は曲げなかった。
それ以上、坂部さん親子には打つ手が見つからなかった。新規の保険は保険料を払わず無効となり、「被害額」は8万円になる。訴訟を起こすほどの金額ではなく、金融庁や生命保険協会にも相談したが、前進はなかった。
ただ、篤志さんは一連の経過をフェイスブックに投稿していた。それがNHK「クローズアップ現代+」の目に留まり、18年4月放送の同番組で取り上げられた。その後も篤志さんは雑誌や新聞の取材に積極的に応じ、実名で紹介されることも多い。保険業界を監督する金融庁は、クロ現の放送をきっかけにかんぽへ関心を向けた。詳しい報告や調査を求めるうちに、次第に不正の規模が膨らんだ経緯がある。その意味では、坂部さん親子もかんぽ問題をあぶり出した立役者と言える。
「ヒホガエ」という爆弾
坂部さんの事例から、気づかされることがいくつかある。
1つは、一昨年の夏、76歳だった母親はお盆の雑務などに追われたあと、書類を見返したところで、自分の認識と違うことに気づいた点だ。高齢ゆえに判断能力が弱かったとか、より配慮が必要だったとか、そういう次元の話ではない。
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source : 文藝春秋 2019年12月号