堀ちえみ(52)が舌がんに罹患していることを公式ブログで公表したのは、今年2月19日。あれから8ヵ月、闘病の日々や家族との絆、復帰への思いを綴った著書『Stage For〜舌がん「ステージ4」から希望のステージへ』(扶桑社)を出版。サイン会などの活動も再開した。一部にまだ発音しづらい音があるものの、彼女は一語一語噛みしめるように、約2時間にもわたって休むことなく語り続けた。(取材・構成 鳥集徹)
負けてはいられない
私と同じような病気を抱えている人はもちろん、全然違う病気の人や、お子さんやご家族が闘病しているという方々がブログを読んでくださっていて。11時間ほどかかった手術の間も、たくさんの方々が「頑張れ」というエールをブログのコメント欄に書き込んでくださいました。
皆さんから寄せられたメッセージを読んで、「私だけが辛くてしんどいんじゃない。負けてはいられない」。そう強く思い、本当に励まされました。
最初は、病気を公表するかどうか悩みました。ネットでは好意的にニュースが拡散されるとは限りませんし、誹謗中傷などのリスクが伴うこともわかっていました。でも、主人と話し合った結果、現実をウソ偽りなく公表していくのは大事なことだという結論に至ったんです。
「口内炎」と言われて
舌の裏に口内炎らしきものができたことに気づいたのは、昨年6月頃のことです。かかりつけの内科に行ってビタミン剤などを出してもらったのですが、痛みが出始めたので、口腔外科の看板を上げている歯科医院にも行き、レーザーで焼いてもらいました。でも、痛みが増すばかりで、いつまで経っても治りません。しばらくすると舌の裏だけでなく、左の側面にも痛くて硬いしこりができてきました。
11月にまた歯科医院に行って、「悪性じゃないですよね」って聞いたら、「大丈夫、大丈夫。根が深いんだよね。レーザーの種類を変えてまた焼きます。それよりも、もうそろそろホワイトニングをやったほうがいいよ」って言われたんです。その間に、定期的に通っているリウマチ科や産婦人科の先生方にも診てもらったのですが、「薬の副作用」「ビタミン不足」と言われたので、まさかがんだとは思いもしませんでした。
やっぱり「悪性かもしれない」と思うようになったのは、その後のことです。年末に台湾旅行に家族で行きました。台湾はご飯がおいしいと聞いていたので、楽しみにしていたんですけど、痛くて水も飲めない。飛行機に乗ったときも、うずいてしょうがなかったんです。おかゆを食べても染みたので、「あれ? これはいよいよおかしいな」と。
スマホで「舌がん」と検索して画像を見たら、やっぱり自分のものと似ている。それで、年明けに、ある大学病院に駆け込みました。夫に電話してもらったら、たまたま朝一の患者さんがキャンセルされていて、運よく予約することができたのです。
週明けの月曜日、悪性であることを覚悟して病院に行きました。簡易検査を受けた後、すぐに先生から「所見でステージⅢ、リンパ節転移が認められたらⅣ」という説明を受けました。「私、生きられるんでしょうか」ってお聞きしたら、「命を落とすことのないように、われわれも適切な治療を考えて治したいと思っています」と言ってくださったので、意外と冷静に現実を受け止めていました。
娘の涙で手術を決意
ただ、このまま子どもたちが学校から帰ってくるのを家で待つのは耐えられないなと思ったので、仕事の打ち合わせを済ませた後、その足で行きつけの美容院に行きました。病院で「手術」「化学療法」「緩和ケア」の3つの選択肢を示されたのですが、手術か化学療法を選ぶとしても、髪は邪魔になるだろうなと思ったんです。今までにないくらい髪が伸びていたので、15センチくらいバッサリ切りました。
実は、髪を切ってもらっている間、私は「もう緩和ケアでいいかな」って思っていたんです。とにかく舌が痛くて、お水も飲めないし、よく眠れてなかった。もうこれ以上、手術を受けて痛い思いをするのは嫌だ。緩和ケアで痛みから解放してもらえば、自分の命はもういいかなって。
でも、そんな考えを改めたのは、下の娘の言葉でした。迎えに来てくれた主人と帰りの車の中で2時間ほど話し合った後、子どもたちにも正直に伝えようということになり、同居している、当時18歳になる息子と16歳になる娘に話したんです。そしたら、下の娘がわーっと泣いた後、「お母さん、かわいそう過ぎる」って言ったんです。
私はここ数年、リウマチや神経障害性疼痛、特発性大腿骨頭壊死症など、いろんな病気に悩まされてきました。「いいお薬が見つかって、やっと痛みから解放されたと思ったら、今度は口内炎ががんだったなんて。私、まだ16歳なんだよ。まだまだ一緒にいたかったのに」って、すごく泣かれたんです。
その姿を見て、もうこのまま手術もせずに、あの世に行ってしまっても構わないと思ったのは、すごく自分勝手だったということに気づきました。それで「悪いものはまずは全部取る」という、医師が勧めた手術を選択することに決めたんです。
生きていても地獄
そう決断して受けた手術では、舌の6割以上と転移のあった首のリンパ節を切除するとともに、残った舌根に太ももの皮膚や皮下組織の一部を移植。耳鼻咽喉科、口腔外科、形成外科の3科がチームを組み、約11時間にもおよぶ手術を担当した。術後は3日間ICU(集中治療室)で過ごしたが、その間、また壮絶な痛みと闘わねばならなかった。
目が覚めたら、大きな肉の塊がガバッと口の中に入っていて、しゃべるどころか口を閉じることすらできませんでした。移植した舌は月日とともに小さくなっていくので、それを想定して大き目につくってあったんです。切開した首も大きく腫れ上がり、あちこち管が通っていました。あまりの辛さに、「これはもう、生きていても地獄だ」と思いました。
実は術前に検査入院をしたとき、今度は「死」が怖くなって、一人でずっと布団の中で恐怖心と戦っていました。看護師長さんの手を握って、「私は生きられますか。このまま死ぬんですか」って聞いたら、何も言わずに手を握り返してくれたんです。そしたら、「やっぱり生きたい」と思って、涙が出て止まらなくなった。「娘のためにも、主人のためにも、命を助けてください」。そう祈りながら、手術室に入ったんです。
ところが、手術を受けた後には生き地獄。こんな状態で果たして生きている価値があるんだろうか。私はどうなっていくのだろうか――そう思ったら、生かされたことに対して、また後悔してしまったんです。
そんな私に再び前を向かせてくれたのは、毎日面会に来てくれた家族や手術の担当チームの先生方、そして24時間付きっ切りで看護してくださった看護師さんたちでした。私は今生きているのではなく、みんなに「生かされている」。そう思ったら、「死んだ方がよかった」だなんて思ったことを申し訳なく、恥ずかしく感じました。
3日後ICUを出ると、今度はすぐに「動いてください」「歩いてください」と言われました。今は「安静に」ではなく、早く社会復帰できるよう、術後まもなくからリハビリを始めます。日が経つごとに体は元に戻っていくけれど、精神的にも肉体的にも積極的に自立を目指していかないといけないのです。上げ膳、据え膳でずっといて、「もうこのままでいいや」と思ってしまったら、退院はできないなと。
術後6日目には、誤嚥を防いで痰を取るために開けた気管の穴を閉じ、鼻から入れていた栄養のチューブも抜いて、飲み込みの訓練が始まりました。最初はゼリーを食べるところから。Kスプーンという嚥下障害用の柄の長いスプーンでゼリーをひとかけらすくい、舌の上に置きます。すると舌が思い出して、のどのほうに押し込もうと動くんです。でも、移植した舌はその動きがまったくできないので、ゼリーがばらけてしまう。舌というのは、食べるときにすごく大事な役割をしているんだなと、この時、初めて痛感しました。
しゃべるほうも、まるで口にタオルを突っ込んで声を出すような状態で、最初はモゴモゴとした音しか出せませんでした。今もそうですが、舌の根っこをまるで腹筋させるようにして動かさないと、うまく発音できないのです。
でも、家族はすごいなと思いました。仕事や学校の帰りだけでなく、休みの日は欠かさず病室に足を運んでくれて、2時間、3時間と話をして帰るんです。学校であったことなど他愛のないことをしゃべるんですが、不思議なことに家族には言葉が通じる。今から思えば、リハビリをさせるために来てくれたんだなと感謝しています。
発話の訓練は、私の舌の状態に合ったプログラムをリハビリの先生が用意してくださって、一つ一つ音をつくるところから始まりました。とくに「ら行」「さ行」「た行」「な行」など舌を使う言葉が大変。1回30分のリハビリで、舌の筋力トレーニングから行い、「今日は『つ』だけ言えましたね」という感じ。退院するまでそんな状態でした。
そうやって夏に入った頃、ようやく絵本を1冊、声を出して読めるようになったんです。なぜ絵本かというと、手術後は言葉をしゃべるときに一音一音つくらなくてはいけないので、いったん全部ひらがなに変換しないと、うまく発音できないんです。例えば、いま言った「例えば」という言葉も、頭に漢字は浮かびますが、「た」、「と」、「え」、「ば」とバラバラにして、どんな舌の動きになるか予測しながら、音をつくっていくんです。今、こうしてお話ししているのも、そのようにしながら発音しています。
そのような苦労がある反面、話す内容を1回頭の中で考えてから話すようになったことは、よかったと思っています。人を傷つけるような言葉や、言わなくていい無駄な言葉に気づけるようになったからです。人を気持ちよくしたり、優しい気持ちにしたりするのも言葉、人に勇気や力を与えるのも言葉。でも、人を傷つけるのも、殺めるのも言葉。そう思うと、頭の中でじっくり言葉を選んで話すというのは、とても大切なことだと思うようになりました。
「生きていてほしいから」
こうして社会復帰に向けてリハビリを続けていたが、退院前、また試練が襲った。口の中やのどにがんができた人は、同じひと続きの組織である食道にもがんができやすい。彼女にも入院中の内視鏡検査で、食道に腫瘍が見つかったのだ。「舌のがんとリンパ転移は全部取りました。あとは経過観察だけです」。そう言われた直後だっただけに、ショックは大きかったという。
「あんなにつらい手術やリハビリに耐えたのに!」と、舌がんの告知の時より落ち込みました。病理検査の結果が出る前に退院して家に帰ると、寝室のベッドの周りに内科でもらったビタミン剤や口内炎のスプレー、塗り薬、自分で買ったパッチ薬など、使い残しが散乱していました。それを見て辛くて悔しくて、ごみ箱の中に投げ捨てたんです。物に当たるようなことをしてはいけないんですが、冷静さを欠いて、家族にも迷惑をかけました。でも、そうするしかなかったんです。
結果的にステージ0の早期がんで、外科手術することなく内視鏡で取り除くことができました。主人からは、「ラッキーだったじゃん。君が舌がんになったから、食道がんを見つけることが出来た」と言われ、考え方一つでこうも真逆に物事を捉えることができるんだと感心しました。
でも、こんなに試練が待っていることを事前に聞いていたら、芸能人という職業柄、私は手術を選択しなかったかもしれません。自分の顔や首がこんなに腫れる姿を見たくなかったし、話せないだけでなく、何よりも歌が歌えなくなることを、現実として受け止められなかったのではないかと思うんです。
退院後、主人にも「手術をした後、こんなに苦労するとは思いもしなかった」と愚痴をこぼしました。すると主人は、「実は僕は説明を受けて、知ってたんだよ」と言うのです。それを伝えたら、手術を選択しないだろうから、私には黙っておこうと。
「生きていてほしいから、要らぬ余計な不安を与えると、術後に戦うのには邪魔になるかなと思ったんだ」
その言葉に、主人の思いやりと優しさを感じました。当事者が辛いのはもちろんですが、そばで見ている家族にしかわからない辛さもあったのです。
正直言って、「もっと早期に診断してくれていれば、こんなに舌を切らなくて済んだのに。仕事復帰だって、もっと早くできたはずなのに」という気持ちも抑え切れません。口腔外科、リウマチ科、内科、どの先生もみんなちゃんとした医師免許を持っているはずなのに、なぜ舌がんと診断できなかったんだろう。そんな悔しい思いが今でもすごくあります。
その悔しさをどうしたらいいのか、家族とも話し合いました。何か口の中に見慣れないものができて、2週間以上経っても治らず、何か変だと思ったときには、すぐに大きな病院へ行くこと。上あごのような見えにくいところにできた場合は自分では発見できないので、定期的な口腔検診を受けたほうがいい。芸能人として、そういうことを広く皆様に伝えるべきではないかと。
どのがんもそうですが、早く見つけて、早く叩くのが鉄則だと思うんです。食道がんも最新の内視鏡で診ていただいたからこそ、早く見つかったのだと思います。早期で見つければ、大きな手術をしなくても治療ができる。がんという万が一のことを頭に置いて疑うことが大事だということを、私の悔しい経験から1人でも多くの方々に伝えたいと思っています。
それから、患者を診る側の医師の方々にも、舌がん・口腔がんの知識を身につけて、患者の命を大事にしていただきたいです。
負けるもんか
舌がんの治療後も、1日に数回のブログアップを続けている。そこに描かれているのは闘病の記録や芸能活動だけでない。掃除、洗濯、買い物をし、おしゃれをして家族や友人と出かけたり、外食や旅行を楽しんだりする等身大の姿だ。食べたものの写真の中には、焼き肉やサラダのような、飲み込みにくそうな固いものも登場する。
こんなに早く、ふつうのものが食べられるようになるとは、当初は想像もしていませんでした。主人が「やりたいこと、食べたいもの、行きたいところを、全部書き出しておきなさい」って言ってくれたので、「どこそこに旅行に行きたい」「あそこのお店であれが食べたい」と書いていたら、そこへ向かって頑張ることができ、どれも早い段階でクリアできました。
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source : 文藝春秋 2019年12月号