松下幸之助 仕事一筋、孫の名も忘れてしまう経営の神様

ビジネス 企業

 松下幸之助(まつしたこうのすけ)(1894―1989)は和歌山生まれ。父親が米相場で失敗したため、小学校も卒業せずに奉公に出る。いくつかの職業を経たのち大阪電燈に勤めるが、改良ソケットを考案し独立、松下電気器具製作所を作る。戦後、公職を追放されるが、昭和22(1947)年に復帰してからは家電ブームに乗り、大量生産、大量販売で大松下グループを作り上げた。


 幸子(さちこ)さんはひとり娘。夫の正治(まさはる)氏は松下電器産業会長。

 一番苦労したのは、終戦後だったと思います。すべて父の個人保証でお金をかりておりましたので、たいへんな借金を背負いこんでしまいました。会社も一時は2、3万人いたものが8000人ぐらいに縮んでしまいました。それをどう建て直そうかと苦心している時に財閥指定を受けて関連会社が分離され、また預金封鎖でお金も自由にならなくなってしまい、家の経済も苦しかったようです。大阪にいらっしゃるお友達、5、6人が見るに見かねてお金をかしてくださいまして、それでなんとか暮らしていたような状態でした。

松下幸之助 ©文藝春秋

 この頃、父はよくヤケ酒を飲んでおりました。ウィスキー、それもジョニー・ウォーカーの黒しか飲まないんですが、2日か3日に一瓶あけてたんではないでしょうか。その頃でも、いただき物などで父一人が飲むぐらいはあったんです。

 家の中でお酒を飲むのは、父一人だけ。私がお酌をしたりすると、「亭主が酒を飲まないから、給仕が下手だ」なんてブツブツ言いながら飲んでおりました。明るいお酒ではありませんでしたね。

 一生懸命働いて、なんでこんな目にあわなければならないのか、という気持だったのでしょう。

 母が心配しまして、「洋酒は強くて身体によくないから」ということで日本酒に変えさせたんです。その後、事業が落ち着いて、打ち込めることが出てまいりましたので、それほどは飲まなくなりました。でも、お酒は亡くなる少し前まで、お猪口(ちょこ)に2杯とか、ビールをコップ半分とか、飲んでおりました。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

初回登録は初月300円・1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

18,000円一括払い・1年更新

1,500円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 1989年9月号

genre : ビジネス 企業