松下幸之助 他人は自分より偉い

谷井 昭雄 元松下電器産業社長
ライフ 昭和史 企業 ライフスタイル

9歳で丁稚奉公に出されたものの、その後家族ではじめた会社を松下電器産業(現・パナソニック ホールディングス)に育てた松下幸之助(1894〜1989)。同社の第4代社長を務めた谷井昭雄氏(96)が、身近に接した“経営の神様”を語る。

 私が入社したのは昭和31(1956)年、28歳のときでした。神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)の精密機械科を卒業したあと二つの会社を経て、テープレコーダーの事業部にエンジニアとして採用されました。当時の松下電器には、メカに強い技術者がほとんどいなかったのです。

 幸之助さんと初めて言葉を交わしたのは入社から5年後、33歳のときです。事業部長がテープレコーダーの試作機を見てもらうというので、開発担当者として同席しました。

 録音機事業部はまだ小さく、私は課長になったかならないかの頃。自社製品はなく、他社の製品をナショナルのブランドで販売し、修理などを受けつけるのが当時の主な業務です。私たちが社長室へ運んだのは自社開発製品の1号機でした。

 事業部長が説明する間、私は「この人が創業者なのか」と目の前にいる幸之助さんに見入っていました。私より34歳上ですから67歳の頃です。幸之助さんは、テーブル型の大きなオープンリールデッキを興味深そうに眺めて、いろいろ質問されました。私はそれに答えながら、「技術が相当にわかっている方だな」と思いました。

松下幸之助 ©文藝春秋

 ソニーの井深大さんやホンダの本田宗一郎さんに比べると、松下幸之助は技術に強いイメージがありません。しかし技術者の私には、少し話しただけでわかりました。高校や大学で勉強しなくても、電灯用の二股ソケットを開発した人ですから、技術者としてのセンスも高いレベルだったのです。

 試作機の話が終わると、幸之助さんは私のほうを見て「キミ、品質管理も大事やけど、もっと大事なのは人質(じんしつ)管理やで」と言われました。ちょうどメーカー各社が、米国から伝わった品質管理技術に取り組んでいた時期です。「ものづくりの前に人づくり」は幸之助語録にもあります。現場の技術者に、あえて人づくりのほうが大切だと伝えたかったのでしょう。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2024年8月号

genre : ライフ 昭和史 企業 ライフスタイル