堤康次郎 レジャーのレの字も

堤 猶二 五男・横浜グランドインターコンチネンタルホテル会長
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西武グループの創業者であり、衆議院議長も務めた堤康次郎(やすじろう、1889〜1964)。五男の堤猶二氏が、家庭での父の姿を語る。

 私にとって父・堤康次郎は、365日、常に“実業家”であり続けた人でした。

 父は明治22(1889)年に滋賀県愛知郡愛荘町の農家に生まれ、早稲田大学政治経済学部を卒業。20代は失敗した事業も数多くありましたが、中軽井沢の開発の成功をきっかけに、鉄道、百貨店、ホテルなど広く事業を手がけ、西武グループの礎を築きました。衆議院議員を計13期務め、昭和28(1953)年からは衆議院議長に就いた政治家でもありましたが、私にとっては実業家の顔が強く印象に残っています。

堤康次郎 ©時事通信社

 というのも父は、私も住んでいた東京・広尾の家で主に仕事をしていたからです。入れ代わり立ち代わり家を訪れる会社の幹部たち。彼らは父を「大将」、家を「広尾分室」と呼んでいました。そんな時、父は私たち、広尾の家に住んでいた子供を横に座らせ、仕事の会話を聞かせていました。「社員は家族だ」と父は言っていましたが、彼らは私たちにとって年の離れた兄のような存在でした。それが父なりの“帝王学”だったのかもしれません。

 週末、家族と軽井沢や箱根などを訪れても、寛ぐことはありませんでした。あくまで各地の事業所を拠点に仕事をするため。人々が余暇を楽しむ場所を作りながら、当人はレジャーのレの字も知らぬ人でした。

 いまの箱根湯の花ゴルフ場の開発を手がけた際に、「ゴルフをやってみる」と言い出したことがありました。私は珍しいなと思いながら、ついていきました。父が最初のティーショットを打つと、ボールはすぐそこに転がっただけ。それでも父は平然とボールの側に立ち、「次、お前打っていいよ」と。目の前の父に向かって打てるわけがない(笑)。

堤猶二氏(本人提供)

 事業への情熱の淵源は、早くに両親と別れた自分を育ててくれた祖父・清左衛門の言葉にあると私は考えています。祖父は亡くなる前、父に「堤の家を立派にしてくれ」という遺言を残しました。18歳の頃のことです。堤家を立派にする――それは父のなかでは、東京で政治家となり、「先生」と呼ばれることでした。大学で人脈を作り、ビジネスの道に邁進して資金を作る。それも、最終的に政治家になるためでした。

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source : 文藝春秋 2024年8月号

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