満州で事業を成功させ、戦後、“日の丸油田”を開発するためアラビア石油を設立した山下太郎(1889〜1967)。若き通産官僚の時代に同社設立の極秘任務に携わった福川伸次氏が当時を振り返る。
アラビア石油の設立をお手伝いしたのは、通商産業省に入って3年目、昭和32(1957)年。鉱山局鉱政課にいた私は国内の石油開発を担当し、特殊会社の石油資源開発株式会社も管理していました。
山下太郎さんが計画したのは、中東に日本独自の油田を持つプロジェクトです。当時、日本の一次エネルギーは石炭から石油への移行期で、石油の大部分は米国の石油メジャーから輸入している状況でした。今後の主要エネルギーは石油になるから、米国への依存度を下げるために、自主油田を持つべきだと考えたのが山下さんでした。
山下さんは札幌農学校(現・北海道大学)を卒業後、オブラート製造の会社などを興して事業家となりました。東京で山下商店を設立したのちは貿易事業で成功し、南満州鉄道の事業に参加しました。開拓企業を助けるなどして「満州太郎」の異名をとり、終戦まで日本、満州、中国、朝鮮、台湾で活躍した人物です。戦後は石油資源に着目し、昭和31(1956)年にアラビア石油の前身となる日本輸出石油を創立しました。
山下さんが通産省に協力を求めたのは、第一に技術的なアドバイスがほしかったからでしょう。石油発掘の技術者は少なく、国内の油田開発を手がける帝国石油(現・INPEX)の技術者と通産省の技官ぐらいでした。帝国石油は山下さんの競合会社になるので、通産省の技官を頼ったのです。
もう一つの理由は、日本輸出入銀行から融資を受けるために事業計画書の作成が必要だったことです。この仕事は、事務方の私が担当することになりました。自主油田の開発は日本の産業界にとってメリットが大きいと、通産省は協力することになったのです。カウンターベイリングパワー(対抗力)を持つことは、石油メジャーとの交渉に役立ちます。
このプロジェクトで神経を使ったのは情報漏洩でした。当時の官庁は記者が自由に出入りできたので、私のデスクで資料を広げれば嗅ぎつけられる恐れがある。特に警戒すべきは海外の通信社でした。石油メジャーに知れたら、どんな対抗策を打ってくるかわからない。私たちは慎重を期して、山下さんの自宅で極秘任務を進めることに決めました。
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