井深大 希代のアイディアマンは「清潔な人」だった

樋口 晃 ソニー相談役
ビジネス 企業

井深大(いぶかまさる)(1908―1997)は子供の頃から機械いじりが好きで、早大理工学部時代には「走るネオン」でパリ博覧会優秀発明賞を受賞。卒業後はPCL(写真化学研究所)などで無線関連技術を研究し、大戦中は軍の依頼で兵器開発に従事、終戦直後、焼け跡の東京にソニーの前身・東京通信研究所を設立して日本初のトランジスタラジオなど次々に新技術を開発し、「世界のソニー」を育て上げた。平成9(1997)年12月19日、急性心不全により89歳で死去。樋口晃(ひぐちあきら)氏は現在ソニー相談役。戦前から井深さんと行動を共にしてソニーの創業に参加、副社長も務めた。

 井深さんに初めて会ったのは昭和15年。僕は当時、七欧無線電機商会という会社にいたが、井深さんはそこによくアメリカ製の部品などを買いに来ていた。井深さんは「走るネオン」の発明で、僕たち技術者の間ではすでに有名な存在だった。だから、井深さんがPCLから日本光音という会社に移るから一緒に来ないかという声がかかったとき、僕は行動を共にすることにした。

井深大 ©文藝春秋

 一緒に仕事を始めてみると、井深さんは進歩的な考え方の人で、次から次へと新しいアイディアを持って来ては試していた。戦時中だったから軍に頼まれて色々なものを開発したが、ずいぶん役に立ったものもある。例えば井深さんが発明した振動継電器は、戦闘機編隊の一番機が他の3機に対し、同時に個別の指示を出すことを可能にした画期的なものだった。また、それを応用して作った潜水艦探知機が多大な効果をあげ、実際に米潜水艦を何隻も撃沈することが出来た。これは後にアメリカが、日本の軍事技術の中でも特に傑出したものの一つだったと指摘したそうだ。

 完成には至らなかったが、熱線探知機の開発も思い出深い。これはレーダーのように電波を出さずに、敵の飛行機の出す熱を感知して相手の居場所を探知してしまうものだ。ある日、青森港の桟橋で、行き交う連絡船の熱を探知する実験をしていたのだが、そこへ敵の艦載機の大編隊が襲来して目の前で連絡船が撃沈され、僕等の側にも機銃弾が飛んできたため実験中止になったこともあった。

 その後、井深さんは僕を呼んで「もうすぐ戦争は終わるよ。そうしたら東京に行くからね」と言った。終戦の6日前のことだった。戦争が終わる前から、すでに戦後の仕事の計画を考えていたのだろう。

 当時、僕等は長野県須坂の工場にいて、食べるには困らなかったから、わざわざ焼け野原の東京に戻っても仕方ない、様子を見ようという人もいた。井深さんと一緒に東京に出て来たのは僕を含めて7、8人だった。

一度任せたらその人を信じる

 いま本社ビルが建ってる土地にあった木造バラックの工場でスタートしたのだが、日立、東芝といった大会社はまだどこも活動再開していなかったこともあり、逓信省の仕事を随分もらうことが出来た。例えば井深さんは電報の需要に目をつけた。当時の電報は郵便局同士でカタカタ信号のやり取りをするのだが、戦後は軍の通信で使われたトンツー信号しかわからない局員が増えて支障をきたしていた。そこでカタカタ信号をトンツー信号に変換する機械を開発したのである。これは全国の郵便局に納入されたから、相当な数が売れた。

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source : 文藝春秋 1998年12月号

genre : ビジネス 企業