戦争を知らない高市に後藤田が語った言葉

総力特集 絶対安定多数は吉か凶か

保阪 正康 昭和史研究家
ニュース 社会 政治 歴史

1991年、議員になる前の高市と対談していた

 自民党が圧勝した衆議院選挙を受けて、第二次高市早苗内閣が発足した。2026(令和8)年2月20日の施政方針演説で高市首相は、自民党単独で3分の2を超える議席を得たことを、「重要な政策転換を、何としてもやり抜いていけ」という国民からの負託と位置づけた。時に笑顔で、時に凄みを利かせ、時に慎重な姿勢も見せながら、「高市一強」の下で自らの政策を実現していく強固な姿勢を示したと言えるだろう。高市の政策には、「責任ある積極財政」による産業振興を要として見せながら、憲法改正と緊急事態条項の創設、治安力・諜報機関の強化、武器輸出容認、日米関係の強化、国家主義的な歴史認識の対外発信など、右派としての念願を次々と勝ち取ろうとする本質が見て取れる。高市首相の誕生をもって、自民党は「国民政党右派」から「国家主義的右派政党」へと変貌しつつある。

 近年の日本の政治に、私は危うい変調を感じてきた。

 2024(令和6)年7月の都知事選で起こった石丸現象。かつての軍人にも似た独善的な話法に既成の政治に飽きた人々が熱狂し、そこに私は新しい翼賛の萌芽を感じた。

 2025(令和7)年7月の参議院選挙時の参政党現象。「日本人ファースト」を掲げる国家主義的右派政党の席捲は、私の目には、歴史の教訓が継承されない時代、経済的苦境が排外主義を生む時代の産物であるように映った。

 そして今回の「高市一強」政権の成立である。「国家主義的右派」が大きな潮流となって時代を巻き込み、大衆の一部もそれに呼応し始めたことは間違いない。

 選挙の開票速報を追い、自民党の議席数が他を圧していくのを確認しながら、日本近現代史を検証してきた私がまずとらわれたのは悲しみの感情であった。私たちは、戦前の日本のファシズム体制や戦時の侵略性・非人間性への反省の上に立って戦後の国際社会に復帰し、日本社会を築いてきたはずであった。少なくとも私はそう認識してきたし、多くの日本人もそうだったと思う。ところが戦後80年を経て、その意識は拡散し、下の世代への申し送りができていないという現実に、かつてなく生々しく直面させられたと感じたのだ。

若き日の高市氏(2005年) ©文藝春秋

「昭和史を語り継ぐ」自分の無力を噛みしめる

 醒めた目で見るなら、「昭和史を語り継ぐ」ことをテーマとしてきた私は、自分の無力を噛みしめなければならない。近現代史の検証を、私が師事する形で共に続けてきた作家の半藤一利がもし生きていたら、この事態に直面して「保阪よ、いったい俺たちは何をやってきたんだろうな」と慨嘆したと思う。しかし半藤は続けただろう。「語り継ぐ、そのやり方を吟味して、またやり直しだな」と。危機の時代には、自らを振り返る必要がある。私は、同時代の人々、より若い世代の人々に歴史を伝えようとしてきたはずだが、実際には、歴史に自分を仮託して語り、若い世代に伝えるための方法を磨こうとしてこなかったのではないか。そういう自問自答が続いた。

 衆議院選挙から第二次高市内閣が成立する過程に並走するように、私は3月に文春新書で刊行する自著『真の保守とは何か』をまとめていた。私が考える「真正保守」と呼ぶに値する存在を歴史の地下水脈のなかに辿り直す試みである。石橋湛山、池田勇人、伊藤昌哉、前尾繁三郎、後藤田正晴、渡邉恒雄、古賀誠、福田和也といった政治家や思想家やジャーナリストの軌跡、また戦争への誠実な振り返りやアメリカとの距離感の再考を宿した彼らの歴史観を検証することで、いまの時代における「真正保守」の存在意義とは何かを見つめようと思ったのだ。執筆の過程で、新刊には当初の意図を超えてアクチュアルな問題意識が盛り込まれていった。それは、「国家主義的右派」の擡頭(たいとう)と向き合いながら自問自答したことの成果でもあろう。

 今回の解散に大義はない。首相就任からわずか3カ月、高市は「台湾有事」をめぐる失言により自らの対中強硬姿勢を露わにして日中関係を危うくし、円安と物価高に対する経済政策の効果は見えず市場の不信を買いつつあった。旧統一教会侵蝕問題や裏金問題では、『週刊文春』などが続々とスクープを放った。高市政権は支持率の高さとは裏腹に、その基盤は揺らいでいたのであろう。解散は、支持率の高さを頼りに、国会でのそれら諸問題への追及から逃れるためになされたと考えられる。

「越境将軍」による「食い逃げ解散」

 過去の事例に触れておこう。1937(昭和12)年3月、陸軍出身の林銑十郎首相は、昭和12年度予算が可決されると、唐突に衆議院を解散して総選挙に打って出た。林は1931(昭和6)年の満州事変時には朝鮮軍司令官だったが、関東軍に呼応して朝鮮軍を独断で満州に派遣し「越境将軍」と呼ばれた人物である。首相就任後2カ月を満たずに行った抜き打ち解散には、政府に協力的でない政党への威圧と、政治の親軍的な再編が画策されていたとされている。予算成立直後の大義なき解散は「食い逃げ解散」と非難され、政府は総選挙で劣勢となって林内閣は退陣に追い込まれた。つまり史上稀に見る愚策であったのだが、注視しておかねばならないのは、そのひと月後には盧溝橋事件を発端に日中戦争が始まることである。歴史的なスパンで見るなら、林の恣意的な解散権行使は、軍事主導社会に著しく傾斜していくファシズムの時代に引き起こされたと言っていい。

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source : 文藝春秋 2026年4月号

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