復活と凋落──何が運命を分けたのか?
4月1日、ソニーグループの新しいCEO(最高経営責任者)に十時裕樹(とときひろき)氏が就任した。十時氏は2023年に社長に就任し、COO(最高執行責任者)、CFO(最高財務責任者)として吉田憲一郎前CEOを支えてきた。吉田氏は代表権を持つ会長として留まるものの、7年ぶりにCEO権限を十時氏に集中させる。

1987年にソニーに入社した十時氏は「エレキの人」ではない。財務部やロンドン駐在を経てソニー銀行の立ち上げに携わり、インターネットプロバイダー、ソネットの経営を指揮した。
エレキを「本流」と考えるなら、ソニーの歴代CEOは初代の盛田昭夫氏以降はずっと「傍流」から輩出されている。1989年にCEOに就任した大賀典雄氏は元々バリトン歌手で、創業者の井深大氏、盛田氏に音響のアドバイスをしていた縁でソニーに入社した。1999年就任の出井伸之氏は欧州に長く籍を置いた営業マンで、社長になる前は広告宣伝本部長などを務めていた。2005年就任のハワード・ストリンガー氏は米3大ネットワークの一つCBSの放送部門社長からソニーに転じた「メディアの人」。2012年就任の平井一夫氏はCBS・ソニーに入社した「音楽の人」。2018年就任の吉田氏はソニーコミュニケーションネットワーク(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)の社長も務めた「ネットの人」である。

こうして見ると、エレキのエンジニアだったソニー社長は、創業者の井深氏、盛田氏、その後を継いだ岩間和夫氏まで。その後は「非エレキ」の人材がトップに立っている。CBSレコードやコロンビア映画の買収を決めた創業者の盛田氏は、常々「コンテンツがなければ、どんなに優れた音響・映像機器もただの箱だ」と言っていた。その考えを実践すべく米国の大手レコード会社と映画会社を買ってしまうのだが、この頃からソニーは他の電機大手と一線を画している。
エレキを捨てた
とはいえトランジスタラジオから始まったソニーの背骨は長らくエレキだった。出井氏が社長になった1995年以降のソニーの30年は、栄光→挫折→復活の軌跡を辿るが、挫折の原因は「脱エレキ」を進めたことにあった。
2000年にはITバブルで株価が高騰し、時価総額は15兆円に迫った。しかし当時CEOだった出井氏の「ソニーの株価は高過ぎる」という発言をきっかけにソニー株が下落。日本株全体を押し下げた「ソニーショック」(2003年)を引き起こすとともに、つるべ落としの勢いでソニーの時価総額は減っていき、2013年にはついに1兆6600億円に目減りする。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
初回登録は初月300円・1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
電子版+雑誌プラン
18,000円一括払い・1年更新
1,500円/月
※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2025年5月号