安倍一強が揺らいでいる。閣僚の連続辞任、「桜を見る会」と相次ぐ不祥事。そんな中、「ハト派による改憲」シナリオが台頭してきた。すなわち、次期総裁として、岸田文雄が浮上してきたのである。
相次ぐ不祥事の中、「ハト派による改憲」シナリオが台頭してきた
存外、権力の行く手を嗅ぎ取る感覚はその外周円の方が鋭いのか。安倍晋三が最長首相となる3日前の11月17日、東京都・信濃町の創価学会総本部。公明党の支持母体・創価学会が、任期満了を迎えた原田稔会長の「再任」を決めた。新聞は短い記事を掲載しただけだったが、安倍や菅義偉官房長官らは複雑な思いで受け止めた。
一時は、かねてから「将来の会長」と目されてきた谷川佳樹主任副会長の昇格で固まったとの見立てもあった。谷川は、公明党が自民党と連立を組んだときから事務総長などとして佐藤浩副会長と共に自民党との選挙区調整に当たってきた自公連立重視派。学会の政治部長と呼ばれる佐藤よりも菅とは古い付き合いだ。谷川が会長なら自民党との関係はさらに強固になると、安倍や菅は期待した。だが結果は原田続投。この人事は、自民党との関係は当面「現状維持」とのメッセージを内包する。
明治の元勲、桂太郎首相を抜いて憲政史上最長の宰相となった安倍。政権に復帰した12年の衆院選以来、国政選挙6連勝となる7月の参院選直後は、自民党総裁4選のシナリオさえ取りざたされた。だが、2人の閣僚が不祥事で相次いで辞任。公費でまかなう首相主催の「桜を見る会」に自らの後援会関係者を招待していた「サクラゲート疑惑」が飛び出し、支持率が下落傾向を示すなど「勤続疲労」にあえぐ。今や4選への動きは途絶え、局面打開への衆院解散さえ噂されている。
時の政権が求心力を失えば、自動的に次を狙う有力者が浮かび上がってくるのが権力闘争の常だ。しかし安倍一強の長期化で、この方程式も当てはまらない。年の瀬の永田町に透けるのは、菅vs.岸田文雄・自民党政調会長の高揚感なき暗闘である。
カット・所ゆきよし
「皆さん方お一人お一人に、令和の時代の憲法のあり方を考えていただく」
さいたま市で10月末に開かれた地方政調会のテーマは改憲だった。岸田は地方議員や国会議員の後援者ら約400人を前に、改憲には幅広い国民の関心と理解が必要と説いた。
岸田政調会長
保守派に人気が高いジャーナリストの櫻井よしこが特別講師で登壇し、「いざというときにわが国を守る態勢をつくっていかなければならない」と訴え、岸田を「ちょっとグズかと思っていたが、今日を契機にずっと頑張ってもらい、憲法改正のリーダーシップをとってほしい」と持ち上げた。
院政狙いの奇襲退陣も
安倍はその言動とは裏腹に、任期中に改憲の国会発議までこぎ着けられるとは確信していない。そのためには、今秋の臨時国会で国民投票法改正案の成立が必要だったが、もはや絶望的。総裁4選がない限り、改憲は求心力維持の旗印として掲げ、実現できないまま「ポスト安倍」へ継承される公算が大きい。そこで安倍はどんな形で辞めるにせよ、退陣後に自らの影響力を維持する計略を立てている。
安倍の長年の盟友で、改憲を重視する衛藤晟一・少子化対策担当相ら安倍周辺の保守派も、「ポスト安倍」に岸田を担いで恩を売り、ハト派イメージの強い岸田を振りつけて改憲を目指す方が現実的だと思案し始めている。
ところが、岸田の心中は複雑だ。この集会の後、岸田は親しい永田町関係者に愚痴をこぼした。
「参加者は保守系の団体に所属する改憲派の人たちばかり。あれでは自己満足でしかない。本当に改憲機運を盛り上げるには憲法に無関心の国民を巻き込まないと広がらない」
生真面目な岸田らしい。ただ、安倍周辺の保守派からは「岸田さんは憲法問題をわかっていない。もっと勉強してもらわなければ」との不満の声が漏れる。世論の支持が一向に上がらない岸田が宰相の座を掴むには、事実上、最大派閥の領袖である安倍の支持が不可欠で、安倍とその周辺の保守派に秋波を送らなければならない。岸田は冷静な持論との狭間で揺れている。
他方、安倍は過去2回の総裁選で争った石破茂元幹事長だけには自民党総裁、そして首相の座を渡さないとの思いを抱く。党員の支持が厚い石破を確実に排除して岸田を後継に据える「ハト派による改憲」という究極のシナリオ――これに沿って安倍が動けば、来年の東京五輪・パラリンピック終了直後に途中で辞任し、国会議員票の比重が圧倒的に高い臨時総裁選に持ち込む展開も現実味を帯びてくる。
他方、サクラゲート追及で一枚岩のように見える野党も一皮むけば消費税対応という重要政策で一致していない。廃止を視野に入れた5%への税率引き下げで共闘する山本太郎代表の率いるれいわ新選組と共産党。これに対し、存続を前提に税率引き下げは8%までとする立憲民主党の枝野幸男代表とで調整が全くできていないからだ。
山本は「5%引き下げに応じないなら、立憲も旧体制だ。幹部に対抗馬を立てる」と刺客までちらつかせるが、枝野は「れいわの勢いは今だけ」と応じる気配はない。安倍6連勝の勝因である「野党分裂」に鑑みれば、来年4月の2020年度予算成立後の退陣、そして岸田への禅譲という奇襲作戦案も自民党内でささやかれる。
その岸田を阻むのが、他ならぬ安倍政権の司令塔である菅だ。ポスト安倍に位置付けられる一方、参院選では「岸田潰し」に成功し、政権内での存在感を示したかに見えた。岸田の地元である参院広島選挙区に、菅は自らに近い河井克行の妻の案里を自民党2人目の公認候補として擁立し、岸田派最高顧問の現職・溝手顕正を追い落とした。結果、岸田は地元広島でさえ「首相候補失格」の烙印を押され、一時、菅は後継者の最有力候補に躍り出た。
尾を引く麻生と古賀の対立
菅が岸田の力を削ごうとする理由は明快だ。安倍は当選同期で気心が知れている岸田を第2次政権発足の当初から後継と位置付け、一貫して重要ポストに就けてきた。政権内で何かと菅と対立してきた麻生太郎副総理兼財務相も、元は同じ旧宮沢派だった岸田をポスト安倍の有力候補と考え、定期的に酒を酌み交わす。安倍と麻生が組んで岸田を推せば、3派合わせて衆参両院議員の過半数を制し「岸田政権誕生」が現実性を増すが、そこに菅の居場所はない。そこで菅は岸田潰しを仕掛け、そんな事態が起きる芽を摘んだようにも映った。
しかし、それもつかの間だった。菅に極めて近い菅原一秀経済産業相と河井法相が不祥事で立て続けに辞任し、自民党内から菅への強い不満が一気に噴き出した。出る杭は打たれるの格言通りの展開だった。
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source : 文藝春秋 2020年1月号