上野動物園のジャイアントパンダ、シャオシャオとレイレイが、1月25日の最終観覧日をもって中国へ返還された。長年愛されてきたパンダは、54年ぶりに日本の地から姿を消すことになる。このニュースに触れ、ふと脳裏に蘇ったのは、34年前の1992年、中国で大学生だったころに綴った一篇の日本語作文であった。
私が大学に入ったのは、1990年のことである。当時の日中関係は、今日からは想像しがたいほどに良好であった。テレビでは山口百恵のドラマや「一休さん」のアニメが放映され、日本への親近感が自然と胸に育まれていく――そんな時代の空気の中で、私は迷わず日本語専攻を第一希望に選んだ。
進学した吉林大学は、旧「満洲国」の首都だった長春市にある。日本との複雑な歴史を抱えるこの町には、日本語教育の伝統が息づき、同大学日本語学部も中国屈指の教育水準を誇っている。私は生まれ育った北京からこの地に移り、満洲国時代の遺構を肌で感じながら4年間を過ごした。その原風景が、のちに日本人の満洲旅行をめぐる研究へと私を導くことになるとは、当時は思いもよらなかった。
1992年のその作文は、日本の国際交流研究所が主催した「第1回中国の大学生、院生『日本語作文コンクール』」への応募作で、テーマは「21世紀の日本と中国の役割」であった。私は、上野動物園にいた当時のパンダ、ユウユウになりきって書くことにした。愛らしさと希少性ゆえに、人間から「友好のシンボル」という不思議な称号を授けられた彼の胸の内を想像し、こんな声を与えた。
「人間が我が家族に名づけてくれたこの『友好のシンボル』とは一体何だろう。僕たちの社会では、友好とか、親善とかは、みんな口で言い合うものではない。気持ちさえあれば、口に出さなくても、表情や行動で心を伝えることが出来る。その点が人間とは違うのだね」
この作文の受賞をきっかけに、国際交流研究所の大森和夫所長と弘子夫人に出会い、日本留学への道が開かれた。成田空港での出迎えや、ご自宅でともに囲んだ手料理は、今も心に残っている。そもそも、この研究所は1989年にご自宅の四畳半ほどの一室から始まったものである。以来37年、日本語作文コンクールを軸に、夫婦2人の「手作り」の国際交流は、日本に住む留学生、中国の大学生、そして世界の日本語学習者へと広がっている。
その作文コンクールも、昨年27回目を迎えた。テーマは「一番好きな日本語」であった。私なら迷わず「旅」と答える。北京から長春へ、そして日本へ――振り返れば、私は思いのままに旅を重ねてきた。しかし、旅はいつも自由であるとは限らない。ときに国家や時代の力が、旅をある方向へと、気づかぬうちに収斂させていくこともある。昨年上梓した『帝国と観光 「満洲」ツーリズムの近代』(岩波書店)もまた、国家の思惑によって方向づけられていった日本人の満洲旅行を、歴史のうねりの中で見つめ直した一冊であった。
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