今年9月末、西武渋谷店が閉店する。80年代、この場所で「セゾン文化」の真っ只中にいた筆者が、当時の記憶を思い起こす。
百貨店の西武渋谷店が9月末で閉店すると聞いて思い出したのは、晩年の堤清二の言葉だった。いずれデパートという業態はほとんどなくなるだろうと彼はいった。生き残りそうないくつかの名前をあげたが、その中に西武は入っていなかった。
西武百貨店は2006年にセブン&アイ・ホールディングスの子会社になり、09年にはミレニアムリテイリング、そごうと合併してそごう・西武になった。シブヤ西武(こちらの呼称のほうがなじみがある)の正社員たちは他店舗や本部などに異動するのかもしれないが、非正規雇用の人やテナントで働く人はどうなるのだろう。

シブヤ西武の開店は1968年。73年に渋谷PARCO(パルコ)開店。デパートではファッションの最先端が紹介され、パルコの西武劇場(のちのPARCO劇場)ではさまざまなコンサートや演劇、ミュージカル、落語などが上演され、86年にできたシードホールではマイナーな、しかし熱狂的なファンのいる映画が上映された。あのあたりをセゾン文化の発信地と呼ぶ人もいた。セゾン文化の特徴は、先端、前衛、同時代、そしてポップだったと思う。
ぼくは84年ごろから3年ほどシブヤ西武で働いた。ぼくが働いていたのはQUINCAMPOIX(カンカンポア)という、輸入美術書とレコードを主に扱う10坪ほどの店で、B館地下にあった。店の名はパリの通りから。店の運営はニューアート西武。ニューアート西武は西武百貨店池袋店12階にあった西武美術館(のちのセゾン美術館)のミュージアムショップ的な輸入美術書とレコードの店、ART VIVANT(アールヴィヴァン)を運営していた。
B館地下から駐車場に向かう通路のような部分にいくつかの店が並んでいた。記憶によると、B館本体の側から入って右側に書籍売場、左側の手前からカンカンポア、マップハウス、ぽると・ぱろうるが並び、その奥に赤木屋プレイガイド、ディスクポート、そしてカフェがあった。マップハウスは地図と旅行ガイドブックの店で、ぽると・ぱろうるは詩の本の店。池袋西武の書籍売場(のちのリブロ)の一角にあったぽえむ・ぱろうるの支店だった。ディスクポートはレコード店で後のWAVE。カフェの柱まわりを利用してリトルマガジンの『話の特集』が「書店・話の特集」として、同誌ゆかりの著名人が選んだ書籍を陳列していた。
初めてシブヤ西武に足を踏み入れたのは77年4月だった。3月に北海道旭川市の高校を卒業して法政大学に入学した。大学の主な授業は市ヶ谷の校舎で行われたが、体育関係だけは武蔵小杉の木月キャンパスまで行かなければならなかった。毎週1回、渋谷から東横線で武蔵小杉に行った。授業の帰りは渋谷で東横線を降りて街を歩いた。真っ先に入るのがシブヤ西武だった。
上京前から西武百貨店には親しみがあった。75年、旭川駅前に西武旭川店が開店した。旭川市に進出するにあたって、西武百貨店は市に彫刻をプレゼントした。オシップ・ザッキン作『人間の森』。ザッキンはキュビズムの彫刻家で画家。美術ファンなら名前くらいは知っているかもしれないという知名度がプレゼントには絶妙だ。作品もほどほどに具象的でほどほどに抽象的。旭川市は地元出身の中原悌二郎(彫刻家。『若きカフカス人』などの作品で知られる)を顕彰する彫刻の賞を設けるなど、アートを大事にする街でもある。進出にあたって地元経済界や行政とどんな駆け引きがあったのか高校生だったぼくにはわからないが、単純に「ザッキンをプレゼントするなんて、さすが東京のデパートはセンスがいいべ」と思った。こういうところも、のちにいわれる「西武の文化戦略」というものの一端なのかもしれない。旭川西武は16年に閉店した。
いくつかの偶然が重なって、81年、ニューアート西武に入社した。ニューアート西武に入社する前、二度目の4年生だったぼくは西武美術館でアルバイトをしていて、その夏に完成した軽井沢高輪美術館(現・セゾン現代美術館)のオープニングにも加わった。千ヶ滝の貸し別荘で西武百貨店文化事業部の社員たちと合宿のような日々を送った。開館記念は「マルセル・デュシャン展」。記念イベントにはジョン・ケージ(前衛作曲家。『4分33秒』などの作品で知られる)も登場した。ケージは演奏しながら公演会場の講堂から廊下に出て、そこにあった案内板と台座を引きずってキーキーという音をさせた。ぼくの目の前、手を伸ばせば届くところにジョン・ケージがいる。観客は興奮していた。ケージは周囲をちらっと見て、いたずらする子供のような笑みを浮かべ、音を立て続ける。それをナム・ジュン・パイク(「ビデオ・アート」を創始した現代美術家)がビデオに撮り、久保田成子(ナム・ジュン・パイクの妻で、同じく現代美術家)が見守っていた。

軽井沢の夏が終わってぼくは東京に帰り、秋からアールヴィヴァンで働き始めた。ニューアート西武に入社してすぐのころ、上司だった高橋信也(現・京都市参事)が、当時流行していた「なめ猫」を例にこんなことをいった。百貨店はなめ猫を作り出すことはできないけれど、なめ猫が流行りそうだと知ったら翌日には店頭に並べることができる。
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