「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座(かげろうざ)」など、圧倒的な映像美で映画ファンを魅了した鈴木清順(すずきせいじゅん)(1923―2017)。NHK名物アナウンサーだった「気くばり」の弟・健二(けんじ)氏が兄の「美の原点」を語る。
今でも「本当に兄弟なんですか」って言われるんです。何から何まで兄とは正反対ですからね。
兄は大正12年に隅田川の西側、日本橋で生まれました。ちょうど食い初めの日に関東大震災があって、その記憶があるのか「地震だけは怖い」って言っています。呉服屋だった鈴木家は震災で焼け出されて隅田川を東に渡り、本所に自転車部品工場を構え私が昭和4年に生まれます。生まれた時代も環境も違いますが、江戸下町の職人気質(かたぎ)は同じです。

母が「1分でいいから黙ってて」と頼むほど兄はお喋りで、学校では勉強のできるガキ大将。スポーツ万能で、陸上と水泳では「東京市学童十傑」に入るほどでした。それに較べて私は病弱で人見知りで無口、運動はからっきしダメ。運動会が大嫌いで、雨乞いをしていました。
ただ身体が弱い割には食い意地があって、兄は芋の煮っころがしなんかを好んでましたが、私はとんかつにソースをドボドボかけて、ご飯にもソースをかけて食べていました。当然体型も違ってくるわけで、痩せて筋肉質の兄とメタボの典型みたいな弟が出来上がるわけです。
ところが、戦争を契機に対照的に性格が入れ替わり、物静かな兄と活動的な弟に激変するのです。
昭和18年、兄は旧制弘前高校にいたのですが、学徒出陣で徴兵され、フィリピンに向かいます。門司を出た船団は13隻あったそうですが、無事現地に辿り着いたのはわずか2隻。マニラから日本に帰る輸送船ではグラマン機の襲撃を受けてたくさんの仲間を失い、兄自身も海を漂流したそうです。喋る相手もおらず、自己内対話を繰り返さざるを得ない戦場が、内省的な兄に変化させたのかもしれません。復員後、「日本人は娯楽に飢えているから、これからは映画の時代かも」なんて私が言ったので、兄は鎌倉アカデミアの映画科から松竹に入り、映画監督になります。兄の作品を観ると、戦争体験の影響が分かりすぎるくらい分かるときがありますよ。たとえばあの明るい色彩感覚。実家が工場で生活環境に色が乏しかったことの反作用もあるかもしれませんが、やはり死生をさまよう中での「色彩への渇望」に他ならないだろうと思います。歌舞伎の型のような静止画が出てくるのも、人間の感情が一瞬凝縮してしまう戦争へのアンチテーゼに見えます。本人に聞いたことがないから当っているかどうかは分かりませんけどね。
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source : 文藝春秋 2009年8月号

