「プーチン大統領との約束の盃」

有働由美子のマイフェアパーソン 第13回

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news zeroメインキャスターの有働さんが“時代を作った人たち”の本音に迫る対談企画「有働由美子のマイフェアパーソン」。今回のゲストは日本オリンピック委員会会長の山下泰裕さんです。東京五輪「会場変更」の裏からプーチン大統領との知られざる交流まで全てをぶつけた“一本勝負”!

シドニーでの有働さんの中継

 山下 有働さん、今日は始める前にまず御礼を言いたいんです。

 有働 どうしたんですか。いきなり。

 山下 もう20年前のことになりますが、篠原信一選手が金メダルを逃したとき、涙ぐみながら中継してくださったでしょう。

 有働 2000年のシドニー五輪柔道100キロ超級で、篠原選手がフランスのドゥイエ選手に一本取ったと思ったら、相手のポイントになり敗れてしまった。のちに世紀の誤審と言われましたね。

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判定に抗議する山下氏

 山下 あの涙は私たち日本柔道チーム全員の気持ちを代弁していたと思う。当時日本柔道チームの監督をしていた私はとても嬉しかった。選手も同じ気持ちだったと思います。

 有働 いえ、感情的な中継をしてしまい、申し訳ありませんでした。あの後、上司から「明日からはもういいよ」と言われてしまって。翌日シドニーに来る予定だった父に、「クビになるかも」と泣きながら電話しました。

 山下 確かにNHKとしてはNGだったのかもしれないけど、あの涙で僕らもやりきれない気持ちから救われたというかね。

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山下氏

 有働 そうですか。お言葉をいただいて、ようやく肩の荷が降りたような気がします。

 山下 それは良かった。しかしね、有働さん、私の方は肩の荷が重いことばかりなんですよ(笑)。

 有働 山下さんは、いろんなものを背負い続けて(笑)。昨年11月9日に行われた、天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典では祝辞を述べる大役を務められました。

 山下 柔道の阿部詩さん、水泳の瀬戸大也さんと一緒に登壇したのですが、私の声がダントツにデカかったと言われました(笑)。

 有働 私は司会としてその場にいましたが、力強くて、皇居どころか東京駅を突き抜けて丸の内じゅうに響き渡るような声でした。

 山下 現役時代からそうなのですが、気合が入ると、どうしても声が大きくなってしまうんです(苦笑)。

「腹をくくってくれ」

 有働 山下さんは、昨年6月にJOC会長になられ、この1月にはIOC委員に就任される予定ですね。

 山下 非常に困って悩んでおります。そもそも、JOC会長になるなんて全く思っていなかったんです。

 有働 えっ。そうなのですか。

 山下 はい。2017年に竹田恒和前会長から「橋本聖子さんの後任で選手強化本部長をやってほしい」と言われた時、「2020年には燃え尽きるつもりでやります。そしてJOCを去ります」とお返事していました。2020年は日本選手団の団長としてオリンピックに関わるだろうと思っていたのです。

 有働 それが青天の霹靂でJOC会長になられた。確かに一昨年、一度会食をご一緒させていただいた時には、会長になるようなそぶりをみじんも感じさせませんでしたね(笑)。どんなふうに口説かれたのですか。

 山下 もう喋ってもいいんでしょうね。3月に竹田さんがJOC会長を退任すると発言された数日後、「ちょっとお会いしたい」と電話をいただきました。

 有働 その頃、竹田さんが理事長を務めた東京オリンピック招致委員会が、200万ユーロを支払って招致を勝ち取ったという「買収疑惑」が報じられました。竹田さんは完全否定されましたが。

 山下 竹田さんは定年を迎え、任期満了で退くという意向でした。それで、竹田さんに「僕の後任としてJOC会長を務めてもらいたいと思っている。そうなった時にはぜひ受けてくれないか」と言われました。

 その少し前からマスコミが次期会長候補の名前を具体的に報じるようになっていました。それでスポーツ界や政界のいろいろな方から、「君、名前が上がった時には絶対逃げるなよ」「腹をくくってくれ」と言われるようになって。おいおい、JOC会長って、そんなに物騒な仕事なのかと(苦笑)。

会長席で「ハァ、ハァ」

 有働 じわじわと外堀を埋められていったわけですね。会長になってみていかがですか。

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有働キャスター

 山下 実際にやってみて初めて大変さが分かりました。私はJOCの理事になってからまだ6年で、私より理事経験が長い人はたくさんいます。それに、自分がやってきたのは、あくまで「現場」。担当したのはアントラージュ部会と、選手強化本部の2つだけです。

 有働 なんですか? アントラージュって。

 山下 フランス語で「王族の取り巻き」という意味で、簡単に言えば、選手を取り巻く環境を整える部会です。2013年に柔道界で指導者の暴力が発覚した後に、スポーツ界から暴力を根絶するねらいで立ち上げられ、私は2年間部会長を務めました。

 ですから、私は「組織」の仕事はほとんどしていません。はじめは一日も早くJOCという組織を理解しようと、全ての委員会に顔を出そうとしました。でも実際にやってみて1週間でその考えが変わりました。

 有働 どうしてですか?

 山下 物理的に無理だからです(笑)。それに、会長として自分がやるべきは、JOCの中のことではなく、JOCを取り巻く組織との折衝だと気づいた。国内ではNF(国内競技連盟)、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会、日本パラリンピック委員会。そして、スポーツ庁、JSC(日本スポーツ振興センター)、東京都、スポンサー。国外では、IOC、世界各国のIF(国際競技連盟)。役割が違う各組織を、東京五輪を成功させる為に一つに束ねていくことこそが自分の仕事だと分かったんです。

 有働 はぁ〜。想像するだけで気が遠くなります。実際にお引き受けになって、何が一番大変ですか。

 山下 極めて不慣れなことばかりで、全部が大変です(笑)。例えば、着任した翌月の7月には、五輪1年前のイベントで、IOC会長以下の関係者を出迎えました。海外のさまざまなVIPや各IFの会長にもお会いし、大会を応援してくれているスポンサー、企業の方々への挨拶回りもあります。それに、JOC会長になったら、充(あ)て職で組織委員会の副会長も兼務することになりました。一つ一つが緊張するし、集中しなければならない仕事で正直疲れます。その時にはじめて、みんなが「腹をくくれ」と言っていた意味がわかりました。お盆前までは会長席に座りながら、「ハァ、ハァ」と肩で息をしている感じでした。

 有働 なるほど。JOC理事時代とは全く別のお仕事なのですね。

 山下 はい。なんか愚痴っぽい対談になってきましたね(笑)。

 有働 それにしても、最初に受ける時、戸惑いはなかったですか。それとも受けざるを得なかったのでしょうか。

 山下 私は長らく柔道をやってきましたから、駆け引きは分かっているつもりです。組織の上の方には「私で務まるものであれば、前向きに考えます」と言いました。こういう役割が来た時に逃げてはいけないと思ったからです。でも、正直私一人が腹をくくるのでは割にあわんでしょう。同年代の田嶋幸三さん(日本サッカー協会会長)と、友添秀則さん(早稲田大学教授)から「山下、腹をくくってくれよ」と声をかけられた時には、「俺が腹くくったらお前も腹をくくるんだろうな?」と遠慮なく言い返しました(笑)。2人とも言った瞬間は「エッ」という表情になりましたけど、「俺も覚悟を決めるよ」と言ってくれ、今も全面的に協力をしてくれています。

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田嶋氏

「合意なき決定」の舞台裏

 有働 10月には、マラソンと競歩の会場が東京から急遽札幌に変わりました。五輪開催まで1年を切ったタイミングで、かつIOCのトップダウンでの決定でしたが、これはどうご覧になっていましたか。

 山下 私も10月17日、ドーハで開かれたANOC(各国オリンピック委員会連合)総会に参加しました。会議冒頭、トーマス・バッハIOC会長が、「札幌に会場を変更することに決めた」と206カ国と地域の代表の前で明言されたので、これが覆ることはまずないと思いました。各国地域代表を前に直接話す機会は、あのタイミングしかなかったのでしょう。

 有働 総会の前には、ドーハで世界陸上があり、多くの選手がリタイアして問題になりました。その影響はやはり大きかった?

 山下 もしドーハで世界陸上が開かれていなかったら、会場変更はなかったのではないかと思います。

 ドーハの世界陸上は暑さを考慮して真夜中に開催されましたが、気温30度、湿度70%を超え、女子マラソンでは4割以上の選手が棄権、完走した選手もダメージを受けました。日本代表のコーチを務めた武冨豊さんも「こんな環境で二度と選手を走らせたくない」と言うほど。同じことが東京で起きたら大変な責任問題になるのではないか。その懸念から、IOCがANOCまでに決めようとしたのではないでしょうか。

 有働 アスリートファーストで会場を変更したということですが、以前この連載で話を聞いた元女子マラソン代表でシドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんは「日本選手は東京のコースに照準を合わせて様々な準備をしているから、会場変更は打撃だ」と言っていました。

 山下 そうですね。選手はそういう発言はしていませんけど、日本陸上界にとってはものすごいダメージだと思います。実際、真夏に強い選手もいました。東京の魅力をちりばめた素晴らしいコースですし、本番に合わせて9月中旬には「マラソングランドチャンピオンシップ」で試走もしている。また、選手だけでなく東京都民をはじめ多くの国民が東京でのレースを楽しみにしていたのに、それが一瞬で無になってしまいました。

 有働 山下さんは事前に何も知らされていなかったんですか。

 山下 IOCとの交渉は、組織委員会の森喜朗会長、武藤敏郎事務総長、それから遠藤利明会長代行がやられていますので、JOC会長として私が矢面に立つことはありませんでした。ただ、組織委員会の副会長として、11月1日の四者協議には出席しています。東京都、IOC、大会組織委員会、政府が一堂に会する場で、果たして本当に決着がつくのかハラハラしましたが、最終的に小池百合子都知事が会場変更を容認し、札幌開催が決定しました。

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森氏

 会合後、外で待っていた記者に心境を聞かれましたが、混乱して、すぐには言葉になりませんでした。30分くらい経ってようやく落ち着き、最初に感じたのは「決まって良かった」という安堵です。一方で、これまで一生懸命東京でレースをするために尽力してきた人たちのことを思ったら急に悲しくなって、涙が出そうになりました。全く正反対の思いが湧きあがってくるのは、あまり経験したことのない感情でした。

理事会を非公開にした理由

 有働 ところで、山下さんはJOC会長になってすぐに理事会を非公開にしました。なぜですか。

 山下 「山下の独裁だ」と叩かれましたけれど、これは私自身も覚悟してのことでした。ざっくばらんに言いますと、公開していた時のJOCの理事会が、それまで私が出席していた会議の中で一番つまらなかったからです。

 有働 それはどうして?

 山下 メディアに公開できる情報以外、理事が共有できませんでしたからね。活発な議論が行われないのです。例えば、「五輪後のパレードをこうしよう」とアイデアを話しただけで、すぐ記事になってしまう。そうすると、それを見て「俺は聞いていない」という人が出てくる。スポーツ庁や組織委員会、IOCとの交渉についても決定したこと以外、その場で話せないわけです。だから議題がいつも少なく、行かなくても資料を読めば大体わかってしまう。錚々たる面々が集まるのに、そんなうわべだけの会議ではもったいないと思いました。

 有働 途中経過が表に出てしまうとご破算になってしまうから、議論できなかったのですね。前会長の時にはそういう声はなかったのですか。

 山下 理事会サイドからは根強くありましたけど、記者クラブの反対でできませんでした。親しくしている記者からは「叩かれるのが嫌だったら、そんな考えはやめなさい」と諭されました。ですが、この問題だけは初めから叩かれる覚悟で、私が直接マスコミと向き合って説明をしなければならないと思いました。

 有働 山下さんは、1984年のロサンゼルス五輪で金メダルを獲得するなど、数々の記録を打ち立てて、褒められることはあっても、叩かれることはなかったですよね。矢面に立って辛くないですか。

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ロス五輪で金メダル

 山下 変革には痛みが伴います。議論の透明性を確保する意味では公開したほうがいいという意見も分かる。叩かれて当然だと思います。でも、私はこれまで過大評価されてきました。実際のところは、そんな立派な人間でも、見識が高いわけでもない。だから、叩かれるくらいがちょうどいいんじゃないかと(笑)。

 有働 五輪で言えば、ロシアの選手はドーピング問題で、国家代表として出場できなくなりました。ドーピングに関与していないことを証明しなければ、個人としても今後4年間国際大会に出場することができません。

 山下 正々堂々と戦おうとしている選手たちはやりきれないでしょう。しかし、世界反ドーピング機関(WADA)の決定は重い。国の代表として出られないことは残念ですが、選手たちは萎縮することなく東京五輪を目指してほしいと思います。

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source : 文藝春秋 2020年2月号

genre : エンタメ ロシア スポーツ