香淳皇后 中学時レコードに吹き込まれた「ひよこ」の歌

徳川 幹子 香淳皇后のご学友

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香淳皇后(こうじゅんこうごう)(1903―2000)は東京生まれ。明治に創立の久邇宮(くにのみや)家の第二代邦彦(くによし)親王の第一女子(良子(ながこ)女王)。学習院女子部幼稚園、同初等科を経て、中等科3年に在学中の大正7(1918)年1月、東宮妃に内定。13年1月206日、皇太子(当時)裕仁と結婚、15年12月25日、裕仁親王の天皇即位と共に23歳で皇后に。二男五女をもうけた。徳川幹子(とくがわもとこ)氏は学習院の幼稚園・初等科・中等科と同級生だった。

 

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 大正初めの学習院は、幼稚園は男女共学でしたが、初等科以上は男子部と女子部に分かれていました。男子部は現在の四谷のところにありましたが、女子部は国会議事堂の近くの永田町にありました。通学は人力車で来られる人が多かったのですが、宮様もすぐ下の妹宮の信子様とご一緒の人力車で来られ、もう一台には智子様(妹宮)とお付きの人が乗っていらっしゃいました。宮様だけが玄関まで人力車で進めましたが、私達は学習院の門のところまででした。しかし、他に宮様だからといって特別な扱いはなく、皆でお手玉やあやとり、鬼ごっこをして楽しく遊びました。

ウメの花が咲く吹上御所の庭を昭和天皇と手をつないで散策される香淳皇后 ©時事通信社 

 宮様は活発な方で、テニス、ピンポン、縄跳びなど運動はなんでも得意でらっしゃいました。特に竿にひもをたらし、その先にボールをつけ、両側に分かれてそのボールをたたき、ひもを竿に巻き付ける「手ぜボール」という遊びは誰もかないませんでした。お弁当の後の休み時間でも、授業の始まるぎりぎりまで同級生とスポーツを楽しまれ、御髪が汗で額につくのもかまわず、一緒に階段を駆け登って教室までお戻りになっていました。

 宮様は歌がお得意で、初等科2年のときには、修辞会と呼んでいた学習発表会で「ひよこ」をお一人でお歌いになりました。この歌はせっかくお一人でお歌いになったのだからということで、宮様が中等科に進まれてからレコードに吹き込まれ、レコードに合わせて皆で歌ったものです。

 初等科の頃は、背はお小さいほうで前から5、6番目でしたが、中等科に進まれてからは中頃になられました。背の低かった私はお席が隣になることが多ございました。算数など答えを隣同士で交換して採点をお互いにしたものですが、宮様はいつもよくおできになりました。中等科の第二外国語は希望者が少なかったフランス語、絵画は日本画をおとりになっていました。

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source : 文藝春秋 1990年2月号

genre : ニュース 皇室