ポスト安倍「世論調査1位」の石破茂氏は、「このままでは日本が滅ぶ」と憂慮する。「桜を見る会」問題、IR疑惑、参院議員の政治資金疑惑……今、あらゆる問題が浮上している安倍政権。石破氏は、現在の状況は「国の根幹」を揺るがす危機だと語る。この国が再び誤った道に進まないために、何が必要なのか。
国家の中枢が劣化している
安倍晋三総理が多数の地元支援者を呼んでいた「桜を見る会」、現職国会議員が逮捕されたIR(カジノ)疑惑、昨夏当選した参院議員の選挙資金疑惑……今、政権はさまざまな問題に見舞われています。
これを「長期政権の驕り」「緩み」と批判する人々もいますが、私はそうは思わない。たとえば5年間続いた中曽根康弘政権は、最後までピリッとした緊張感を保持していました。小泉純一郎政権も特有の舞台回しにより、約5年間を通じて引き締まった雰囲気でした。長期政権だから腐敗するとは、必ずしも言えません。
ではなぜ、この期に及んで問題が頻発したのか?
私はここに、国家の中枢を担うエリート、とりわけ官僚たちの劣化を見ます。今国会を見ても、なぜ総理をはじめ閣僚がこれほど杜撰な答弁をするのかと、首を捻りたくなるようなシーンが多々あります。その答弁を書いているのは、受験秀才の選りすぐりである官僚です。受験秀才はペーパーテストの成績は抜群でも、スペシャリストの集団として視野が狭くなりがちであり、ジェネラリストは少ない。答えのない問題や危機に対応する能力においては、大きな弱点を抱えています。
石破氏
約80年前、大日本帝国の運営を誤り、滅びの道筋を作ったのもいわば受験秀才でした。権力(陸軍)の中枢を占めていたのは、陸軍幼年学校からエリート教育を受けた人々。東条英機はその典型でした。今の状況を見るにつけ、私は当時の「失敗の本質」に通じるものがあるように思え、慄然とした思いを禁じ得ない。同じ轍を踏めば、日本は滅びの道に至ります。この国を再び誤らせないために何が必要なのか、考えてみたいと思います。
一隅を照らす人こそ「桜を見る会」へ
「桜を見る会」が依然として尾を引いています。総理は「功績・功労のあった方々などを幅広く招待した」旨を国会で答弁されていますが、少し言葉が足りないかもしれません。そもそも「桜を見る会」の趣旨は、保護司や人権擁護委員、民生委員の方々のような、決して良い報酬や待遇ではないにも関わらず、一生懸命に地域社会の一隅を照らして下さっている方々に、総理が感謝の意を伝え、労う場とする、というものです。行政府の長たる総理が国民の税金を使って開くわけですから、たとえ野党の支持者でも、公平に招待するのが筋だと思います。
「桜を見る会」
私も幹事長時代、「幹事長には推薦枠がある」と言われた記憶があります。私の地元でどうしても行きたいという方がいた場合、その方が地域のために尽くしてこられた場合に限って、推薦をしました。該当者がいない場合、若手議員に私の枠を回すように言ったこともあります。当然そういうものだと私は受け止めてきました。
また、国民の税金が投じられている以上、可能な限り、情報公開されなければなりません。招待者名簿について「ルールに基づき、廃棄した」と繰り返し、不可解な説明が二転三転してしまっては、政府への不信がますます高まってしまっても仕方がありません。
福田康夫総理のとき、公文書に対する政府の姿勢を徹底させるべく改革を断行されました。行政が公正、公平に執行されたか確認できるように、公文書の管理を徹底しておかなくてはならない――その使命感のもと、公文書管理担当の大臣を置き、公文書管理法も制定されました。今こそ、その精神を取り戻さねばなりません。
内閣官房と内閣府は今回、同一人物が連続して招待されないよう配慮を求める通達を各省庁に出していました。しかし名簿が廃棄されてしまえば、それも確認しようがありません。恣意的な管理と言われても仕方ない。政府には、公文書は政府のものではなく、国民のものであるという意識が決定的に重要です。
「耳の痛いことを言ってくれる人」を大切に
「桜を見る会」の招待者が膨れ上がった理由は不明ですが、そこには安倍総理の優しさも垣間見えます。安倍総理は、自分を支えてくれた人を、この上なく大事にされます。2018年の総裁選の時もそうでした。森友・加計問題などをめぐる秘書官などの対応が野党から批判されると、「一生懸命やっている」と庇い、色をなして反論された。だからこそ、周囲の人は「総理のためなら」と意気に感じて惜しみなく力を尽くすのでしょう。それが安倍政権の強みの1つであると思います。
しかし、その美徳はプラスだけではない作用をもたらす懸念もあります。「力を尽くしてくれる人」ばかりが重用されると、「耳の痛いことを言ってくれる人」が遠ざけられることも往々にしてあるからです。私が防衛大臣や農水大臣を務めた際にも、私の意図を先読みするようにして尽くしてくれ、「さすが大臣」と持ち上げてくれる官僚もいました。が、そうした人とは長くは続きませんでした。逆に、「大臣、それは違います」ときちんと指摘してくれる人は、いざというときに本当に頼りになりました。立場ある者としては、「尽くしてくれる人」以上に「耳の痛いことを言ってくれる人」を大切にすべきだと私は思うのです。
これは、鳥取県知事だった父・石破二朗の信条でもありました。知事はある意味で県における最高権力者ですが、父はよく役人に「私が間違っていると思ったら必ず言え。それがお前たちの仕事だ」と言っていたそうです。私もその遺訓に倣ってきましたので、事務所の秘書も「それは違います」と平気で言いますし、政策集団「水月会」のメンバーも「会長、お言葉ですが」と有意な反論を多く投げかけてくれます。これが私のスタイルです。
今の安倍政権には、このような「耳の痛いことを言ってくれる人」が少ないように感じます。これはそれぞれの政治家によるスタイルの違いであり、一概にどちらがよいと言えるものではありません。しかし、歴史を顧みると、「耳の痛いこと」を言う人の存在は、やはり必要ではないかと思うこともあるのです。
先に触れたように、かつてこの国を破滅の淵に追いやったのは、いわゆる受験秀才の軍務官僚でした。彼らは満州などにおいても結果的に自らの権益を優先させ、国全体の利益を考えることができませんでした。そして無謀な作戦に走り、戦局が厳しさを増す中でも都合のよい報告しかせず、ときには戦果を捏造さえしたのです。
現在の状況においても、「総理、それは違います」と進言しないといけない局面はあると思います。しかし、現代の受験秀才であるエリート官僚たちには、それができないのではないか。結果として、支離滅裂な答弁を総理にさせてしまっている。
国民の約8割が首相の説明に「納得できない」
私見ですが、安倍総理が「桜を見る会」の人数が増えたことなどの不適切と思われる点について、率直に丁寧に謝られれば、ここまで批判は拡大しなかったのではないか、と思います。日本人には「水に流す」という感覚があります。それが海外にも通用するかはさておき、誠心誠意謝れば、日本の有権者は理解してくれるのではないでしょうか。周囲の人々が諫言できないのか、大した問題ではないとタカをくくっていたのかは分かりませんが、「本当に申し訳なかった」と誠実に国民の前でおっしゃれば状況は違ったのではないかと思います。
もちろん、官僚ばかりが責められるべきではありません。なぜなら、今の政権では「耳の痛いこと」を言ってしまったら厳しい立場に置かれかねない、という雰囲気があるように感じるからです。内閣人事局の発足以来、中央省庁幹部の人事権は官邸にあります。官邸の機嫌を損ねれば、職を失うことだってあり得る、と役人が思うのは自然なことでしょう。天下りは厳しく制限されている時代です。局長といっても年齢は50代半ばで、子どもがまだ学生だったり住宅ローンが残っていたりする。そうした現実を考えると、官邸の意向ばかり気にする官僚のことを、私は全面的に非難できないのです。また、官邸の顔色を窺うのは、自民党議員も同じです。
考えてみれば、我々は10年以上かけて官邸の強化のための施策を講じてきたのですから、これもある意味当然かもしれません。そうであれば今まで以上に、官邸は広く国民全体のことを考えなければならない。世論調査を見る限り、国民の多くは「桜を見る会」を巡る総理の答弁を「納得できない」と受け止めている。そうであれば、総理ご自身が、国民が納得いくまで、あらゆる機会で説明していくべきです。誠実な姿勢には、国民も必ず理解を示すと思います。
選挙で負けないという安心感が蔓延して
私がいま痛切に感じているのは、現在の状況を生み出した「日本の民主主義」とは何なのか、その民主主義が崩壊に向かっているのではないか、ということです。
民主主義が正常に機能するには、幾つかの条件があります。1つ目は「健全な言論空間」。権力と言論が一体になってしまえば、国は方向性を誤ります。かつて日本が無謀な戦争に突入した背景にも、新聞が権力への監視機能を失ったことがありました。
2つ目は「政治に参加する権利を持った人ができるだけ多く参加すること」。投票率が低いと、組織票を持つ特定のグループの発言権が強くなってしまう。一方で、棄権は、現体制に対する消極的信任を意味します。
12年末に自民党が政権を奪還した際、私は幹事長でしたが、当選した議員たちに「投票率50%、得票率50%で当選できる。しかし、絶対得票率は25%に過ぎない。そのことを絶対に忘れては駄目だ」と口を酸っぱくして言い続けました。有権者全体の25%の支持があれば、選挙には勝ててしまう。しかし、そこに甘えてはいけないということです。
17年10月の総選挙では、森友・加計問題で批判を浴びながらも、「国難突破」を理由に解散を打ち、大きな勝利を収めました。このあたりから、自民党議員の意識が変わってしまったように思います。つまり「25%の支持」さえ得ていれば、選挙には負けないという安心感です。これが蔓延すると、国民全体に届くように丁寧に説明を重ねる努力を忘れてしまいます。
50%もの人が投票権を放棄している事実は、選挙で勝ったといっても、現体制に対する「消極的な支持」が大半だということの裏返しです。「自民党が素晴らしいから支持する」ではなく、「他にないから自民党」という状況は、向かい風で簡単に覆ります。それはつまり、「国政を任せてみたい」と思わせる野党が存在していない、ということにも繋がります。「安倍政権の最大支持勢力は野党」だという論評は、あながち的外れではありません。
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source : 文藝春秋 2020年3月号