事件の陰に女あり──。前妻・リタと別れ、2012年にキャロルと再婚したカルロス・ゴーン。2人は2007年頃に出会ったとされる。派手好きなキャロルの影響で、ゴーンは変わった。服装、髪型……。そして、今回の逃亡劇にもかかわったとされている。謎の「ゴーン妻」の正体に迫った。
貪欲な偽善者
「会見を見ているうちに、どうにも怒りが収まりませんでした。彼は、ずっと日本人を見下していました。白人に対してはへりくだる一方で、それ以外の人種に対しては居丈高に振る舞うところが前々からあった。今回の逃亡劇も、本心では日本人と日本社会をなめているからこそ、あんな大それたことを実行に移せたのです」
こう語るのは日産自動車元常務執行役員の今井英二だ。車両設計部長などを務めた開発部門のエースとして知られ、2007年3月までの約8年間、役員として日産の屋台骨を支えてきた。
1999年に常務に就任したが、役員昇格はカルロス・ゴーンの来日前に決まっていた。ゴーンに引き上げられたわけではないため、率直に意見を言うこともできたという。
「私はゴーンにとって耳の痛いことを言っていたので、会議ではいつも、『お前は嘘つきだ。信用できない』と罵られました。それでもすぐに解任されなかったのは、私をクビにすれば、開発部門の反発も予想され、切りにくかったのでしょう。ただ、後輩役員の中には1億円を超える報酬をもらっている人もいる中で、私の基本報酬は8年間でわずかしか増えず、最後は一匹狼の状態でした」
「逃亡犯」となった、かつての「日産の救世主」について今井はこう評した。
「ゴーンは、結局のところ、『カリスマ経営者』ではありませんでした。改革者を装った貪欲な偽善者にすぎなかったということでしょう」
キャロルとの「キス写真」
1月8日、レバノンで会見を開いたゴーンは、ハリウッド映画さながらの逃亡劇を「生涯で最も難しい判断だった」と語った。
会見ではいったいどんな新事実が明かされるのか。世界中の関心が集まったが、ふたを開けてみれば、日本の司法制度への批判と、一方的に無罪を主張するだけで、「報酬隠し」や豪邸の購入、中東を経由した資金還流など、数々の疑惑をくつがえすだけの材料に乏しかった。
今回の逃亡により、ゴーンの刑事裁判が日本で開かれる可能性はほとんどなくなったため、法廷で動機が明かされることはない。さらに、ゴーンが日産の社長兼CEO、会長としての権力をどのように悪用しながら会社を私物化していったのか、そのプロセスも解明されることはなさそうだ。
筆者は1998年8月、当時は朝日新聞経済部記者として日産担当になった。以来、経営危機や仏ルノーとの提携交渉、その後のゴーンによる経営改革をつぶさに取材してきた。独立してからも数えきれないほど日産関係者に話を聞き、ゴーン本人に何度もインタビューを重ねた。日産の栄枯盛衰をこの目で見てきた筆者は、改めて犯罪捜査の格言を思い起こさざるを得なかった。
事件の陰に女あり――この言葉はゴーン事件にも完璧に当てはまる。ゴーンが犯行に至った経緯や動機から事件の構図に迫っていきたい。
逃亡後のゴーンとキャロル夫人
ゴーンの公私両面をよく知る元幹部は、会見の感想をこう語った。
「会見後のインタビューで、逃亡計画について、『自分が1人でやった』と語りましたが、明らかにキャロル夫人をかばった発言です。あの逃亡劇にキャロルは何らかの形でかかわった可能性は高い」
たしかに、億単位の費用がかかったとされる壮大な逃亡劇を成功させるためには、家族が関与していると考えるのが自然だろう。
逃亡劇だけではない。キャロルはゴーンの特別背任事件にも深く関与していることがわかってきた。
ある日産社員が語る。
「キャロルは1966年、レバノンに生まれ、その後、家族とともに米国に移住しました。父親が金融関係のビジネスをしている裕福な家庭に育ち、彼女は慈善活動にも積極的だったそうです。米国でファッション関係の会社を共同経営していた時期もあります」
2人が出会ったのは2007年頃だとされる。ニューヨークのパーティーで、キャロルがゴーンに声をかけたのがきっかけだったという。ゴーンもレバノン移民の子である。2人は12歳差だが、共通のルーツを持つ者同士、意気投合したのだろう。ゴーンは前妻であるリタとの婚姻関係が続いている頃から、キャロルと不倫関係にあった。
前妻のリタは1985年にゴーンと結婚し、1男3女を育てた。代官山でレバノン料理店を経営し、2006年に著書『ゴーン家の家訓』を出版するなど日本で精力的に活動した。リタに比べてキャロルのほうは、来日することはほとんどなく、あまり知られた存在ではなかった。
前妻・リタさん
ゴーンの「愛人」に注目が集まったのは、2012年4月の写真週刊誌「フライデー」の記事がきっかけだ。ニューヨークにある瀟洒なエスニック料理店のテラス席で、ゴーンとキャロルがキスを交わす写真が掲載されたのだ。同誌には「スタイル抜群の金髪美女」としか書かれておらず、実名は報じられていないが、キャロルであることは明らかだ。
リタは、『ゴーン家の家訓』でこう綴っている。
〈我が家では、アメリカ式に私が玄関で待ちかまえ、帰宅した夫や子どもたちをハグや大げさなキスで迎えるという光景はない。我が家の子どもたちは、私たち夫婦がキスするのさえ見たことはないと思う〉
前出の元幹部は「キャロルと出会ったことで、ゴーンは行動も性格も変わってしまった」という。振り返ると、来日した当初のゴーンは、ファッションに無頓着な男だった。ところがキャロルと出会った頃から、洒落たスーツを着こなし、身だしなみにも気を遣うようになった。ある日産関係者もゴーンの「変化」に気づいていた。
「ある時期から、明らかにゴーンの髪の毛の量が増えたのです。社内では、『会社のカネで植毛したらしい』と囁かれていました」
「CEOを辞めたい」
2012年10月、レバノンにおいて、リタとの離婚が成立。ゴーンとキャロルの「新生活」を阻むものはなくなった。前出の元幹部は、この前後から、ゴーンに明らかな異変を感じるようになったという。
「本社の執務室に報告に行っても、いつも疲れ切った様子で、時差ボケ対策のために睡眠薬を服用して居眠りしていることも珍しくありませんでした。ただ、メディア対応だけは熱心で、側近が『会社の近くにホテルの部屋を取るので、休んでください』と勧めても、『これからインタビューがあるので休めない』と」
齢六十が近づいていた「カリスマ経営者」も体力の衰えは隠せず、仕事への集中力を失いかけていたようだ。ゴーンは2014年頃、この元幹部に対し、「日産とルノーのCEOを辞めたい」と漏らすようになったという。理由を尋ねると、ゴーンはこう語った。
「息子から、『お父さんの生活はクレイジーだ。世界を飛び回って疲れ果てている。もっと家族と一緒に過ごす時間を増やしてほしい』と言われたんだ」
この年、ゴーンは60歳。当時のルノーの社内規定では、CEOが在任中に60歳を超える場合、再任することができないと明記されていた。ゴーンの任期は2014年までだったが、その3年ほど前から、逮捕容疑となった「報酬隠し」の準備を進めていたとされる。
「報酬隠しのスキームは、2014年度に退任することを前提に考え出されたものでした」(前出・元幹部)
キャロルのためにカネがいる
日本では金融商品取引法の改正によって2010年から1億円を超える役員報酬は、有価証券報告書での個別開示が義務付けられた。しかし、ゴーンは10年度から14年度までの報酬(総額約100億円)のうち、有価証券報告書には約50億円分しか記載しなかったとされる。これが最初の逮捕容疑となった。
日本では10億円を超えると株主や世間から「もらい過ぎ」と批判を受けると判断したゴーンは、開示する報酬を10億円ほどに抑えた。当時のゴーンの報酬は約20億円。本来得られるはずの報酬との差額約10億円の5年分を将来払いにしたというのが特捜部の筋立てだ。
特捜部の調べに応じた日産元役員はこう説明する。
「2011年6月、まず当時副社長だった西川廣人に代表権を与えました。同年秋には、『将来払いの報酬』を約束した文書を示し、西川に代表者としてサインさせたのです。文書の日付は空白でした。当時、COOだった志賀俊之も代表権を持っていましたが、2005年から代表取締役を務め、在任期間が長かった。2014年度時点では志賀が代表である可能性は低いと考え、西川にサインをさせたのでしょう」
だが、結果として、ゴーンがルノーと日産のCEOの座を明け渡すことはなかった。前出の元幹部が語る。
「ゴーン自らルノーの内規を変更してCEOを続けることにした。生活が派手なキャロルと再婚することになり、お金が必要になったのでしょう。辞めたくとも辞められない状況になってしまったのではないか」
ゴーンとキャロルが結婚したのは2016年。その年のキャロルの誕生日に合わせて、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿を借り切って結婚披露パーティーを開催。高級ブランド「カルティエ」での贈答品購入費などを含めると約4億7000万円の不正支出が確認されている。ゴーンといえども、「定年」していたら、軽々と払える金額ではなかっただろう。
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source : 文藝春秋 2020年3月号