渡辺和子 父の暗殺を目の前にして

保阪 正康 昭和史研究家

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 大ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者・渡辺和子(1927〜2016)に長時間インタビューした保阪正康氏が垣間見た、彼女の“内なる闘い”を綴る。

渡辺和子氏の父は、二・二六事件で殺害された渡辺錠太郎教育総監 Ⓒ時事通信社

 渡辺和子の生涯は昭和史との闘いであった。

 渡辺は1927年、父である陸軍中将の渡辺錠太郎が旭川の師団長だった53歳の時に生まれた。4人兄姉の末っ子で、両親の愛を存分に受けて育った。だが1936年、彼女が9歳の時に二・二六事件が起きる。

「皇道派」の陸軍青年将校20人余に率いられた下士官・兵士ら約1500人が政府要人を襲撃し、自派閥のリーダーであった荒木貞夫、真崎甚三郎を中心とする軍部独裁政権を樹立しようとしたクーデター未遂事件である。事件を利用した「新統制派」が軍事主導体制を構築し、「戦争の時代」を到来させたという意味で、日本の近現代史の重大な転換点であった。

 同時に、二・二六事件はテロ行為の残虐さを、いまに至るまで生々しく示し続けている。犠牲になった要人のなかに、渡辺錠太郎がいた。彼は読書家で知られ、軍人には珍しい学究肌であった。天皇を神格化する時代風潮とは一線を画し、むしろ美濃部達吉の天皇機関説に近い立場を取った。その錠太郎が、教育総監を更迭された真崎の後任となり、皇道派の怨嗟の的となったのである。事件当日、9歳の渡辺は、父・錠太郎と母と3人で川の字になって居間で寝ていた。午前6時頃、29人の兵士が渡辺邸を襲った――。

 私は10年前、シスターとしてノートルダム清心学園理事長の職にあった渡辺を、岡山市にあるキャンパスに訪ねた。事件の記憶や、何より彼女の人生の道筋を訊きたかったのである。すでに渡辺は膵臓がんと宣告されていたが、その兆候を見せることはなかった。私が昭和史に詳しいことに安堵したのか、温和な表情で胸の内を丁寧に話してくれ、インタビューは5時間近くに及んだ。柔らかな口調であったが、その言葉には深い陰影があった。

 兵士たちが家に侵入した。錠太郎は渡辺と妻を居間から出し、自らは銃を取って暴漢に応戦する態勢になった。父が心配になって居間に戻った渡辺を、錠太郎は、「どうして戻ってきたんだ」という表情で見つめ、座卓の陰に隠れるよう合図した。兵士たちは機関銃でまず錠太郎の足を撃った。渡辺は「逃がさないためだな」と思ったという。肉片が飛び散り、片足は一瞬でほとんど無くなった。兵士たちは錠太郎に銃を乱射した後、剣でとどめを刺して引き上げていった。「お父様!」と呼びかけたが、返事はない。

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source : 文藝春秋 2026年11月号

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