日本を代表するグローバル企業・日立製作所。ただ、リーマンショック直後は、破綻も噂されるほど危機に陥っていた。再建したのが子会社に転出していた川村隆(1939〜)である。日立をV字回復させた川村を経団連会長に推す声が上がるが固辞。その一方、東京電力ホールディングス会長を引き受ける。取締役として仕えた西山圭太氏が明かす。

私は経産官僚として、2014年から18年まで東電に出向していました。最初の3年は数土文夫会長にお仕えし、17年からは川村会長とご一緒しました。
川村さんとのご縁は13年に始まりました。その時、経産省で通称「稼ぐ力研究会」を起ち上げ、川村さんに委員就任のお願いに行ったんです。その時、川村さんには「稼ぐ力」という言葉を冠したことを評価いただき、引き受けていただいた。というのは、日立再建の時、川村さんは、稼いでビジネスを成功させることへの執着が社員たちに薄いことを危惧し、変えようと尽力されてきたからです。誰かが稼いでくれるという発想でやっていると、一時期の日立のように誰も稼げない状況になり会社が続かない。東電で言えば利益をあげない限り、賠償も福島第一原発の廃炉もできないわけです。
16年には「東京電力改革・1F問題委員会」の委員をお引き受けいただきました。その年の秋、経営陣の若返り刷新と、事業再編を軸にした将来像について、委員に繰り返し根回しに行きました。すると川村さんから「西山さん、そんなに何度も言わなくても、私が考えていることは西山さんと同じだと思うよ」と。修羅場だらけで味方の少ない東電再建プロセスの中で、本当に心に沁みるありがたい一言でした。
私の仕事として、社外取締役探しがありました。経営改革のためには民間から来ていただく必要がある。会長はもう首相官邸マターですが、社外取は私が担当していました。正直、断られまくるわけです。ある方に打診した時の断りの言葉は「私、死にたくありませんから」。
はっきり言えば東電の社外取、ましてや会長なんて、得することは一つもないわけです。当時は東日本大震災からそんなに年も経ていない。東電の外の人からは叩かれ、中の人には人事の刷新や改革を求めるわけだから歓迎されない。にもかかわらず川村さんは受諾してくださった。「財界活動より東電みたいな会社の経営に関わりたい」とはっきりおっしゃっていました。二つ理由があったと推察しています。一つは「稼ぐ力」を取り戻して、顧客や社会に対して使命を果たす。もう一つが「ラストマン」の覚悟です。
川村さんは、1999年の全日空ハイジャック事件に遭遇しました。パイロットが刺殺され、墜落寸前になった飛行機の操縦桿を非番のパイロットが奪い返し、間一髪、乗客の命が助かった。その行動に感銘を受け、以後、「ラストマン」(最終責任者)たることを強く意識されたと著書に書かれています。ラストマンとして、危機に陥っている東電を救うことで、エネルギー産業、ひいては日本を何とかしたいという決意があったのではないでしょうか。
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