外岡潤(弁護士)

令和の開拓者たち 第13回

長田 昭二 ジャーナリスト
ニュース 医療
時代を切り拓く“異能”の人びとの物語「令和の開拓者たち」。今回登場するのは、 弁護士・外岡潤氏です。

6畳ワンルームの弁護士事務所

 東京・西新宿。都庁をはじめ高層ビルが林立するこの地区は、日本屈指のビジネス街だろう。しかし青梅街道を挟んだ北側には、車1台がようやく通れる道幅の路地が続き、昭和然とした住宅地が広がる。その只中にあるマンションの郵便受けに小さく掲げられているのが、「法律事務所おかげさま」の表札だ。

 法律事務所というと、官庁街やビジネス街、あるいは駅前などにあるオフィスを思い浮かべがちだが、そのどれにも当てはまらない。間取りはバス、トイレ付きのワンルーム。6畳の洋室には、仕事机と2人掛けのソファ、小さなガラステーブルがある以外は本と書類の山だ。

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事務所はマンションのワンルーム

 その山の麓でパソコンに向かう人物こそ、この事務所の代表で所属するただ一人の弁護士、外岡潤(40)。日本で初めて、もしかしたら世界でも初めて「介護弁護士」を名乗った人物でもある。

 弁護士はオールマイティな資格業だ。民事、刑事問わずどんな事案を扱っても構わない。企業法務に強い弁護士が、遺言書を作成することもある。だが、外岡が介護・障害福祉以外の案件を引き受けることは基本的にない。その心構えを明確に表す肩書が「介護弁護士」なのだ。わかりやすく説明するために、彼が過去に手掛けた事件を一つ紹介しよう。

「施設側につく弁護士が多い」

 名古屋市内にある認知症高齢者が共同生活を送るグループホーム(GH)で暮らしていた太田明美(仮名)が、同じ市内の特別養護老人ホーム(特養)に転居したのは2011年10月。その日の夕方、入浴時にスタッフが明美の腰に重度の褥瘡(じよくそう)を見つけ、すぐに病院へ搬送した。

 診断結果は「5段階のうち5」、つまり最高ランクの重症だ。そのまま入院した明美は献身的な治療が奏功し、その年の12月に退院。無事、特養に戻ることができた。

 しかし、彼女の腰に褥瘡ができていることを、GH側は転居先の特養はおろか、毎週のようにGHに来ていた家族にも伝えていなかった。明美の家族から指摘を受けたGH側は「特養で褥瘡ができたのだろう」と嘯(うそぶ)いた。だが、重度の褥瘡がわずか数時間でできるはずもないことは素人でもわかる。

 その姿勢に憤った家族はネットの情報を伝手に翌12年3月、「介護弁護士」の外岡を頼った。

「明美さんの娘さんからの相談でした。話を聞いてGHの悪質さは明らかと考え、引き受けた。名古屋からなぜ東京の弁護士に、とも思いましたが、地方には利用者側の弁護をする人が少ないのかもしれません」

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外岡氏

 ここに、介護と弁護士を取り巻く厄介な事情が垣間見える。

「私は“介護特化”と謳っていますが、これまでの仕事も利用者側と施設側、ほぼ半々。是々非々の観点から相談者の言い分に理があれば引き受けているので、双方の視点を持てるようになりました。ただ、特に地方に行くほど、施設側にしかつかない弁護士が多い印象です。カネのある側の仕事しか受けないということかもしれません。最近、『介護トラブルの解決を標榜するほうぼうの事務所に電話したが、施設側の依頼しか受けないので、と断られた』との理由で、うちに来られる方も増えました」

 代理人を引き受けた外岡は名古屋へ赴き、訴訟の準備を進めた。被告は、静岡県に本社を置くGHの運営会社。記録の開示要請に非協力的だったため、裁判所を通じて証拠保全を行い、関係記録を差し押さえていく。だが、出てきた介護記録は日付が前後していたり、同じ人物が別の名前で署名するなど、いい加減なものばかりだった。

 原告は、この杜撰な記録を証拠として戦わなければならない。事実関係があやふやだから、争点もぐらつきやすくなる。つまり「施設の記録がいい加減なほど施設が得をする」というジレンマの中での争いを余儀なくされたのだ。

 明美の症状についても、被告は「定期的に契約医師の診察を受けていた」と主張する。だが、外岡が実際にその医師を訪ねると、GH内のある入所者に処方した薬を別の入所者に使い回すことを容認するなど、医療者としての資質に疑問を持たざるを得ない人物だった。

 それでも諦めずに事実関係を検証していくと、流れが見えてきた。

「きっかけは明美さんがGH内で転倒し、大腿骨を骨折したことでした。車いす生活を送ることになるのですが、その際に使うクッションが硬すぎたらしく、褥瘡の原因になっていたようなのです」

地裁が下した判決は……

 褥瘡ができて悪化するまで、GHが何をしていたか(していなかったか)を一つひとつ明らかにする必要がある。濡れ衣を着せられた特養にも協力を仰いだ。クッションに加え、食事、入浴、衛生状態など証拠となり得る事実を、相手が一切協力しない中で積み重ねていく作業は大きな労力を伴う。コストパフォーマンスという点で見れば、旨味のある仕事とは言えない。

 そもそも介護の事件は賠償額の算定も難しい。交通事故のように判例の多い案件なら、ある程度の基準額があるので、賠償額も算出できる。だが、介護現場での事故では基準となるケースが少ない。

 外岡自身、似たような事件でも短期間の交渉で賠償額が2000万円を超えた例もあれば、長期間争った末に1円も引き出せなかった例もある。発生した日時と被害が明確な転倒事故と異なり、褥瘡のように日々少しずつ進行していく病態だと、裁判所も施設側の責任を認めづらいのだ。

 明美は褥瘡が回復しつつあったこともあり、「管理不足から褥瘡を招いたことへの慰謝料」を主として、請求額は885万円となった。

 かたやGHは「びた一文支払うつもりはない」と主張。名古屋地裁の判決は、賠償額86万円だった。双方が控訴したが、高裁は棄却。請求額の約10分の1という賠償額で決着を見る。明美の体に褥瘡が見つかってから、3年以上後のことだった。

 決して「大勝利」とは言えない案件だが、外岡はこれを「特に印象に残る仕事」として挙げる。

「褥瘡という争いづらい事案で、低額とはいえ勝てたことが大きい。もちろんクライアントにとっては納得できない部分もあるとは思いますが、今後起きるであろう介護訴訟に向けての布石にはなったはずです」

東大で出会った伝統奇術

 1980年、札幌で外岡は生まれた。父は朝日新聞社で編集局長まで務めた外岡秀俊で、妹と弟が1人ずつ。父の海外特派員生活が長く、小学生時代にはアメリカ・ニュージャージーで過ごした経験もある。

 秀俊が、苦笑しながら振り返る。

「子どもの頃は元気のいい男の子でした。私も妻も『勉強しろ』と言ったことはないのですが、小学生の頃に勉強法を指南する本を読んでから独自の勉強法を開発したらしく、急に勉強をするようになった。まぁ私自身が仕事で忙しかったので、詳しいことはわからないのですが……」

 その本を、外岡は覚えていた。

「『いつのまにやらクラスで一番』という本です。小学4年生の時、米国から帰国する飛行機の中で読んだ記憶があります。特に画期的な勉強法が書かれていたわけでもないのですが、元々意欲があったところでこれを読んで、刺激を受けました」

 外岡は家庭教師が付いたことも塾に通ったこともない。常に自分で勉強法を考え、それを実践してきた。

「枠に収まることを嫌う、というより、自分で試行錯誤して切り拓く作業が好きなんです。ノートのとり方も自己流。何の裏付けもないので、今思うと冷や汗ものですよ(笑)」

 そんな独自の勉強法も効果を示したのか、99年春、外岡は現役で東京大学文科I類に合格。ただ、この時点で「弁護士になる」という人生設計があったわけではなかった。

「海外を転々とする父を見て、新聞記者への憧れはありました。ただ自分に文才があるとは思えず、せめて国際的な仕事をしたい、と漠然と思っていただけです。そのためにどうすればいいかと考えた時、とりあえず法学部に行くのがよかろう、と。そもそも大学に入るまで弁護士に会ったこともなく、職業としてのイメージも持てませんでした」

 大学に入った外岡が最初にしたのは多くの学生と同じく、サークルに入ることだった。選んだのは奇術愛好会。なぜだったのか。

「カードやハト出しなど演目を選んで学園祭等で演じるのですが、その中でも異質だった和妻(わづま)を見て感動したんです。和妻とは日本古来の伝統奇術ですが、東大流ともいうべき、大量の和傘をスピーディーに繰り出す型でした。あまりにもカッコよくて、自分もこの演目をものにしたい、と思ってしまったんですね。高校まで空手をやってはいたけれど、ここまで没頭できる趣味を持ったことはなかった。生涯を通じた特技になるとは思っていませんでしたが、これをきっかけに日本文化との付き合いが始まりました」

この和妻と、その延長として身に付けた傘回し芸や日本舞踊の技術は、のちに外岡の仕事を意外な形で支えることになる。

「成り行きで」弁護士に

 和妻の虜となった外岡は、東大時代を奇術中心で過ごした。当時の様子を、父・秀俊は“ある出来事”を通して記憶にとどめている。

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source : 文藝春秋 2020年9月号

genre : ニュース 医療