日本映画史に燦然たる名作を残した映画監督の小津安二郎(1903~1963)。代表作「東京物語」の主人公名をペンネームに持つ雑文家の平山周吉氏が、小津を「最も上質な日本人」と評する理由とは──。

小津安二郎が10代を過ごした三重県の松阪で、講演をする機会があった。小津の代表作「東京物語」上映前の「前座」という役割である。作品の解説をすればいいのだろうと思っていたら、松阪の人たちは「東京物語」ならば既に2、3回見ているという。心強いことだが、では何を話せばいいのか。困った末に、私は口走った。「小津安二郎は近代日本が生んだ最も上質な日本人です」。
「東京物語」は昭和28年(1953)の作品で、今では世界中で最も高く評価される日本映画となっている。小津は「東京物語」について、「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ」と語った。そのためか、映画は「家族の崩壊」から語られがちだ。だが、それは第2のテーマではあっても、第1のテーマではない。
笠智衆の老父と、原節子の嫁。寡黙な2人が主役である。敗戦から8年、独立を回復した日本は景気も上向き、人々は日々の暮らしに忙殺されている。人々は済んでしまった戦争を忘れようとしている。忘れかけてもいる。その中で、戦争の死者を忘れかねているのが笠智衆と原節子の2人なのだ。笠にとっての次男、原にとっての夫は、原のアパートに飾られた「遺影」としてしか登場しない。「遺影」の前で東山千栄子の老母と原節子の嫁は静かに語り合う。
映画のラスト近く、尾道の家での笠と原の別れの挨拶のシーンでは、「遺影」の代わりのように、「鶏頭」が2人の会話に耳を澄ましている。この「鶏頭」は15歳の原節子を映画「河内山宗俊」に抜擢した山中貞雄監督であり、山中は中国大陸の戦線で、28歳で戦病死した。山中が最も慕った先輩が小津であり、小津が最も可愛がった後輩が山中であった。原節子は山中の生涯の「思い人」であり、小津と山中は召集されて、映画への思いを残し、中国戦線へと赴いた。
小津の戦後の映画には、いつも山中貞雄の影がはっきりある。原節子が小津映画に初めて出演した「晩春」であれば、あの有名な「壺」のシーンに。「晩春」の「壺」は、「東京物語」における「鶏頭」と重なる。「麦秋」であれば、歌舞伎座での芝居「河内山宗俊」に。原節子が出演していない遺作「秋刀魚の味」にも、驚くほどに山中の影がある。皮肉屋の会社重役・中村伸郎の「言行不一致」の滑稽には、山中の喜劇「丹下左膳余話・百万両の壺」の「左膳」大河内傳次郎の「言行不一致」の滑稽が踏まえられている。
「秋刀魚」がまったく登場しないのに、「秋刀魚の味」とはこれ如何に。
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