新型肺炎による死者数2700人超。ウイルスはなぜ爆発的に広まったのか。これは災害ではなく、人災だ――人々はそう記憶に刻むだろう。なぜ、中国共産党は情報を隠蔽したのか。その背後にある意図とは?
感染拡大は人災
中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の拡大は、2012年に政権に就いた習近平国家主席にとって初めてかつ最大の危機となった。2月27日現在、中国国内の死者は2744人にまで膨れ上がっている。
ウイルスという見えない敵との戦いを、「人民戦争」と名付けた習近平。いずれ終息すれば、抗日戦争に勝利し民心を獲得した毛沢東を超える「皇帝」になったと宣伝されるだろうが、そう甘くはない。初動のまずさを知る国民は、今回の感染拡大が「人災」によるものだったと長く記憶するからだ。
重要会議中は感染者ゼロ
まずは中国の公式報道を詳細に分析してみよう。
武漢市政府が初めて感染者27人、重症者7人の存在を発表したのは、第1例から23日も経った昨年12月31日だった。感染源とされるのは武漢の「華南海鮮市場」。
年明け1月5日に公表感染者は59人に増えるが、6日からは武漢市と湖北省では相次ぎ、「両会」(2つの会議)と呼ばれる重要政治行事「人民代表大会(議会)」と「政治協商会議(国政諮問機関)」を控えていた。
武漢市の両会は1月6〜10日、湖北省は11〜17日。地方指導者にとって両会の期間中の「安定」と閉幕時の「円満成功」が至上命題であり、「負面(ネガティブ)情報」はもみ消されるケースが多い。原因不明の肺炎の拡散なんてもっての外だ。
事実、武漢市政府は6〜10日まで新たな感染者を公表しなかった。さらに11日に重症者1人が9日に死亡したと発表したが、会議中の死亡公表を故意に避けたものとみられる。続く12〜17日の湖北省両会の間も、新たな感染者は報告されなかった。「人から人への感染」の可能性を排除しないとしながらも、証拠は発見されていないと否定し続けた。
1月7日から9日頃、武漢に出張したある外資系医薬メーカーの社員によれば、市内で著名医師に会っても、医師らは「問題はない」と口を揃えたという。だが、独自取材で知られる中国誌『財新週刊』は、1月6日に武漢の湖北新華医院が院内各科の責任者を集めた会議を開き、「新型肺炎に関する状況を外部に漏らしてはいけない。特にメディアには話すな」と指示していた、と報じている。実は、市内の病院では隠蔽工作が本格化していたのだ。
後に、国家衛生健康委員会直属の中国疾病予防コントロールセンター(CCDC)などの専門家チームが、武漢での早期感染病例を分析した論文が1月29日付の米医学誌に掲載されたが、濃厚接触者を通じた「人から人への感染」は12月中旬以降、既に発生していたという。
またCCDCが、2月17日の中国医学誌に掲載した論文でも、武漢市が感染者を27人としていた12月末以前に感染者は実は104人で、1月1〜10日にその数は6倍増の653人に上り、11〜20日にはさらに8倍以上の5417人に増えたとしている。
CCDCという権威機関がこの重大な情報をせめて1月中旬までに公表できていれば市民に警鐘を鳴らすことができた、と悔やまれる。武漢市政府が重要会議のため感染拡大を隠蔽する中、ウイルスは拡散していたのだ。1月23日午前に拡大阻止のため「武漢封鎖」という異例の強硬策が断行されたが、遅すぎた。
1月25日の春節(旧正月)の大型連休に合わせて10日頃から延べ30億人以上と言われる大移動が本格化しており、封鎖前に500万人以上の出稼ぎ労働者や海外旅行者らが武漢を離れていた。こうしてウイルスは世界中に拡散していく。
封殺された青年医師の告発
たとえ国民の健康や生命に関わるような重要な真実でさえも、国家の安定を妨げるものや、最高指導者が聞きたくないような情報はもみ消してしまう――そんな共産党に染み付いた悪しき体質が露わになったのが、武漢市中心医院の眼科医・李文亮の悲劇だ。
武漢市政府が最初に感染の事実を公表した前日の12月30日、33歳の李医師は、患者の検査報告を目にした。そして、同窓生ら医師約150人が参加する中国版LINE「微信」のグループチャットで、「海鮮市場で7例のSARS(03年に中国などで大流行した重症急性呼吸器症候群)が確認された。我々の病院の急診科で隔離されている」と発信した。医療現場に立つ仲間に注意を促すためだった。
しかし李医師は、翌31日未明に衛生当局に呼び出され、デマを流したとして「自己批判文」を書かされた上、1月3日には公安局派出所で「あなたの行為は社会秩序を深刻に混乱させ、法律の許容範囲を超えたものだ」と記された「訓戒書」に署名させられた。李医師が入っているかどうかは定かではないが、武漢市公安局は1月1日、新型肺炎をめぐりデマを流したとして8人を召喚し、処罰したと発表している。
その後も治療を続けた李医師は院内感染してしまう。1月10日から咳が出始め、ICU(集中治療室)に入った。それでも調査報道記者の取材を受け、1月31日には自身の中国版ツイッター「微博」に実名で「インターネット上で非常に多くの方が私を支持し、励ましてくれ、心が少し軽くなりました。必ず早く退院します」と投稿したが、2月7日に亡くなった。
李文亮医師への追悼
ネット上は追悼の言葉で溢れ、「英雄」となった李文亮医師。生前、『財新』のインタビューに「健全な社会であるなら『1つの声』だけであってはいけない。公権力による行き過ぎた干渉には同意しない」と言い残していた。当局が「異論」に耳を傾けていれば、感染拡大を防げたのではないか、という医師としての使命感から出た言葉であった。
しかし、李医師の告発は封殺されてしまう。武漢市民の多くは真実を知らされないまま、身近に迫っているウイルスを「他人事」と思い込んだ。1月18日には武漢市内で4万世帯以上が料理を持ち寄って「万家宴」という大規模宴会が予定通り行われたが、これを市政府が止めることはなかった。
春節巡りを続けた習近平
この危機を救ったのは、SARSの際、最初の感染地となった広東省で治療の現場指揮を執った呼吸器科医師・鍾南山だった。
83歳の鍾医師は中央政府専門家チームのトップとして、1月18日、高速鉄道で武漢に向かう。翌19日、武漢の感染症専門病院「金銀潭医院」や海鮮市場を視察し、「人から人への感染」を確認したのだ。
翌20日午前、鍾医師が姿を見せたのは、北京の政治中枢・中南海。側には李克強首相がいた。新型肺炎対策を討議する定例の国務院常務会議に、武漢視察を終えたばかりの鍾医師を特別に招いたのだ。
報告を聞いた李克強は「リスクの意識と責任感を強めろ」と指示を出す。真実を語らない隠蔽体質が染み付く地方の幹部から、民衆に真実を伝えることは不可能だと判断したのだろう。会議終了後、わざわざ鍾を会議室の外まで見送り、老医師に敬意を表したほどだった。
鍾医師はこの日の夜、国営中央テレビに出演し、著名キャスターの白岩松に「人から人への感染は間違いない」と明言。初めて「人から人」という事実が伝わり、武漢市民の意識もようやく変わった。20日にまだ少なかったマスク姿の市民は21日、一気に急増するのだ。
これまで「密室」の出来事だった新型肺炎問題はこの1月20日を境に転換するが、その時、当の習近平は一体どこにいたのか。
1月17日からミャンマーを訪問し、さらに、19日から21日までは同国と隣接する南部・雲南省に入り、春節前恒例の地方視察を予定通り続けていたのだ。この間、武漢でのより深刻な状況について武漢市政府・中央の国家衛生健康委も詳細に報告する時間がなかったか、報告したとしても習サイドが大したことはないと認識したかのどちらかである。
事の深刻さに気付いた習近平が「感染蔓延の阻止」とともに「迅速な情報開示」を命じる「重要指示」を出したのは、1月20日午後のこと。李克強がこの日午前に鍾医師の報告を受け、それを遠く雲南にいる習サイドに伝えたとみられるが、習は同じ日の朝にお膝元の首都・北京に感染者が出たことを懸念したのだろう。武漢で最初の感染者が確認されてから、実に43日間が経過していた。
武漢の臨時医療施設
「鶴の一声」を過剰に忖度
既に地方の各地で感染者は出ていたが、習による「重要指示」を受け、地方指導者たちは「新型肺炎は武漢の問題だけでなく、我々の問題でもあるのだ」と初めて認識したに違いない。「ネガティブ情報」を隠して自身の政治的業績に傷を付けないことを優先した幹部は、逆に公表することが政治的評価につながると“政治的な勘”をめぐらせた。
ネット上では「1月13日にタイ、16日には日本で感染が確認されたのに、武漢以外の都市で感染者がいないのはおかしい」との声が上がっていたが、習近平の指示があって初めて、31の省・自治区・直轄市から競うようにして感染情報が発信されるまでに変わったのだ。
なぜ、武漢市から習近平に「正確な情報」が届かなかったのか。その背景には、習自らが敷く「恐怖独裁政治」があると言わざるを得ない。
就任以来、「反腐敗闘争」という名で政敵を打倒し、権力を自身に集中させてきた習近平。今や共産党内には、ネガティブな情報を中央に上げれば、自分が失脚ばかりか逮捕されかねないという恐怖感が蔓延している。一方で側近を、自身がかつて勤務した福建・浙江省、上海市時代に忠誠を誓った幹部で固め、聞こえのいい情報ばかりが届けられる。
民主派が歴史的大勝を収めた19年11月の香港の区議選、民進党・蔡英文総統が圧勝した20年1月の台湾総統選でも、中央政府の香港出先機関・香港連絡弁公室と国務院台湾事務弁公室はそれぞれ、香港親中派と国民党に「勢いがある」との報告を共産党中央に上げていたという見方が強まっている。結果、習は情勢を大きく見誤ってしまった。
さらに恐ろしいのは、習の「鶴の一声」を過剰に「忖度」して拡大解釈する役人が多いことだ。
例を挙げよう。習が「社会安定維持」を指示すれば、公安部門は、政府の政策を批判する人権派弁護士やNGO関係者らを「国家の敵」とみなし、徹底的に逮捕する。「世論工作」の指示があれば、宣伝部門は、建設的な意見を出す改革派の大学教授・知識人らへの言論弾圧を徹底し、社会の矛盾を取材で暴露する調査報道記者を解職に追いやったりする。
前述した李医師の遺言である「1つの声だけではいけない」はあまりにも重い言葉であるが、「異論」を許さない習体制の弊害が、今回の悲劇をより深刻なものにしたのだ。
ウイルスより怖い「民」の声
その習近平にとって、もう一つのターニングポイントになったのは1月24〜25日だった。
20日の「重要指示」で、上しか見ていない地方指導者の姿勢を変えたとしても、習指導部全体がどこまで真の危機感を持っていたかは疑問である。なぜなら、首相の李克強ですら1月21〜22日に北京から遠く離れた青海省へ予定通り視察に行き、21日は党序列1、2位が入れ違いで北京を出入りし、中南海の司令塔を手薄にしたからだ。
1月21日夜から22日にかけての中央テレビは、雲南省を視察した習が笑顔で民衆と触れあうニュースを延々と垂れ流している。「武漢封鎖」が断行された当日(23日)、最高指導部・政治局常務委員7人全員が顔を揃え、北京・人民大会堂で恒例の春節祝賀会を行い、あいさつに立った習近平は、新春を迎え「格別に嬉しい」と述べ、新型肺炎に一言も触れなかった。
21日に湖北省ではトップの蒋超良党委書記ら指導者が一堂に集まり、春節祝賀の芸術演出を参観して批判が集まったが、国民は、党中央も同じ穴のムジナだと感じた。言論弾圧を強めたことで知識人たちから見放される中、民衆からの支持によって求心力を保ってきたはずなのに、習近平は、生命・健康問題に敏感な「民」の声に鈍感すぎた。
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