政府の日本経済に対する認識には、根本的な間違いがある。今の日本は、「消費主導型経済」の時代に入った。世帯や個人への「給付」は、“福祉”でなく“経済政策”そのものなのだ。
加谷氏
「真水」が重要
政府は新型コロナウイルスの感染拡大に対処するため、「総額117兆円の緊急経済対策」を取りまとめた。
だが、一連の政府による経済対策を詳しく分析すると、日本経済の現状に対する根本的な認識の誤りがあり、十分な効果を発揮しないと言わざるを得ない。
確かに「117兆円」は、額だけ見れば、経済対策として過去最大であり、安倍首相は「世界的にみても最大級」と胸を張った。主要国の中でGDP(国内総生産)の2割をコロナ対策として拠出する国はドイツくらいなので、この金額が本当に支出されるのであれば、まさに世界最大級といってよいだろう。
だが、首相の説明は実態とは大きくかけ離れている。
財政の分野では、GDPを増やす効果を持つ直接的な財政支出のことを「真水(まみず)」と呼んでおり、この金額がいくらになるのかが重要な意味を持つ。
例えば、政府による融資は、あくまで貸付けなのでGDPには直接関係しない。企業に貸し付けられたお金が、設備投資などの支払いを通じて需要を生み出さなければ、GDPを押し上げる効果を持たないからである。
こうした視点でこの経済対策を眺めてみると、実質的な支出金額は「117兆円」にははるかに及ばないことが分かる。
真水効果は28兆円程度
「117兆円」の金額の中には、企業に対する「納税や社会保険料の支払い猶予」「財政投融資」などが含まれているが、この分に相当する「36兆円」は、直接的な効果を発揮しない。
さらに言えば、昨年12月に閣議決定した26兆円分の経済対策のうち、まだ執行していない分(「20兆円」)や、3月までにまとめた緊急経済対策の第1弾と第2弾(合計約「2兆円」)など、今回の支援策とは無関係だったり、すでに公表済みの施策と重複したものもある。
では、残りはすぐに財政支出されるのかというとそうではない。
この経済対策は「緊急支援フェーズ」と「V字回復フェーズ」に分かれており、V字回復フェーズで想定されるのは、イベント業などを対象とした消費喚起キャンペーンや、国内旅行費補助といった施策である。これらは新型コロナウイルスの感染が完全終息しないかぎり支出できないので、今、関連の支出項目を計上しても意味がないのは明らかだ。
本当のところ、即効性のある施策として、いくら拠出されるのか不明瞭な状況だが、真水の部分の金額は「18兆円程度」、コロナ終息後の施策を入れても「28兆円程度」と推察される。政府は「48兆円が真水である」と説明しているが、これはかなり拡大解釈したものだろう。
問題は、なぜこうした効果の薄い経済対策ばかりが立案されるのかである。
その背景には、日本経済に対する政府の誤った認識がある。この認識をあらためないかぎり、今後も同じような失政が繰り返される。コロナとの戦争が長期化するのはほぼ確実であることを考えると、政府の認識ギャップは致命的だ。
これまで政府が行う経済対策というのは、公共事業や助成金など、企業に対する支援が中心だった。こうした支援策は、製造業の輸出とそれに伴う設備投資によって経済を成長させる「輸出主導型経済」の時代にはうまく作用した。
ところが、今の日本は消費で経済を動かす「消費主導型経済」にシフトしており、従来型の経済対策は効果を発揮しにくい。
日本の経済構造が根本的に変化しているにもかかわらず、その現実が政府関係者に共有されておらず、結果として、立案される経済対策の多くがピントのズレたものとなっているのである。
「日本は貿易立国」は幻想
読者の皆さんの中にも、「製造業の輸出こそが日本経済を支えている」と考える人が多いかもしれないが、現実はだいぶ異なる。
全世界の輸出の中で日本が占める割合は4%を切っており、ドイツ(7.5%)や中国(10.6%)の半分、もしくはそれ以下の水準にまで落ち込んでいる。残念なことではあるが、世界市場において日本はもはや「輸出大国」とは見なされていないのが現実である。
日本のGDP全体に占める輸出の割合は18.5%だが、この数字もかなり低い。典型的なモノ作りの国であるドイツは46.9%、一般的には「輸出大国」とは思われていないフランスでさえ31.4%もある。
日本は世界最大の「消費大国」である米国(11.7%)に近い水準であり、冷静に数字で判断すれば、日本は消費で経済を回す「消費主導型経済」なのである。
「消費主導型経済」は、「輸出」という外需で経済を成長させるのではなく、自国民の消費で経済を拡大させるメカニズムなので、「個人消費」の動向が成長のカギを握る。
安倍政権は「日本を取り戻す」として、輸出産業の競争力強化を試みたが、円安によって見かけ上の輸出金額は増えたものの、肝心の輸出数量はほとんど伸びていない。円安が進み、輸出企業にとっては追い風だったにもかかわらず、日本経済が長期的な低迷から脱却できないのは、すでに経済の主役となっている国内サービス業の賃金が上昇せず、消費を拡大できなかったことが原因である。
日本経済の成長戦略については、それ自体、別個に論ずべき課題であるが、「リーマンショック以上」「100年に1度」とも称される「未曽有の世界経済危機」に直面するなかで何よりも重要なのは、「今の日本経済の主力エンジンは個人消費だ」という正しい認識に基づいた施策である。
そのためには、まず「個人消費」に特有の性質を踏まえる必要があろう。
「個人消費」には、生活のために欠かせない支出が含まれるので、通常は、ちょっとやそっとのショックで、そう簡単に減少するものではない。だが、何らかのきっかけで、消費がひとたび壊れてしまうと、それを回復させるのは極めて難しい。いったん破綻すると、取り返しがつかないのだ。
そのため、消費の主役である家計が破綻することは何としても防ぐ必要がある。日本経済がすでに「輸出主導型」ではなく「消費主導型」となっている以上、なおさらだ。
「収入が減少した世帯に30万円を給付する」という当初の施策が撤回され、「一律1人10万円」の新しい給付プランに変更されたことは評価すべきだが、筆者が個人に対する給付が重要だと主張しているのはこうした理由からである。
新型コロナウイルスの影響で収入が激減する世帯が増えると、住宅ローンを延滞する人も出てくるだろう。住宅ローンの中には、優遇金利が設定されているものがあり、契約内容にもよるが延滞によって金利が一気に跳ね上がる可能性がある。たった一度の延滞でも、優遇金利が撤廃されてしまう恐れがあるのだ。
住宅ローンの金利が上昇すれば、コロナが終息した後も、長期にわたって家計を圧迫するだろう。それは、ひいては国内消費を低迷させる。
低所得者の場合、毎月、ギリギリで生活をしている人も多く、家賃の滞納は家を失うことに直結する。今、10万円の現金があれば当座の生活を維持できた人でも、ひとたび家を失ってしまえば、10万円で生活を立て直すことは到底できない。
給付は「福祉」ではない
自民党のある若手議員が、広範囲な休業補償を党内で主張したところ、「働いていない人に支給するなどとんでもない」という自己責任論が圧倒的多数で、賛同を得られなかったという。
日本では、世帯や個人に現金を支給する施策は「福祉」であるとの感覚を持つ人がいまだに多く、自民党内の雰囲気もおそらくこうした価値観を反映したものだろう。
だが、「消費主導型経済」である現在の日本において、「個人の生活を守ること」は、「経済政策そのもの」につながるのだ。現金給付は「福祉」であるという旧来の感覚から一刻も早く脱却し、「経済政策としての家計の支援」について議論していくことが重要である。
「個人に対する所得補償」と並んで重要なのが、「中小零細企業に対する支援」である。
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source : 文藝春秋 2020年6月号