松岡洋右(まつおかようすけ)(1880―1946)は山口県生まれ。少年時代に渡米し、オレゴン大学を卒業。外務省に入り上海総領事になるが退官し、満鉄副総裁となる。昭和8(1933)年2月、首席全権として国際連盟総会に出席し、日本軍の満州撤退勧告案採択に抗議して退場。満鉄総裁を経て、第二次近衛内閣外相となり枢軸外交を展開する。占領軍によりA級戦犯に指定されるが、すでに健康を害しており、法廷には一度も出なかった。
謙一郎(けんいちろう)氏は長男。日本ケーブルテレビジョン社長。
当時の日本の国際的におかれていた客観情勢や国内の政治経済情勢を無視して、父のことは容易に語れません。しかし、父は公的な話を家族にはしない人でした。ただ自分の親父というのは自分の周辺の中でもっとも興味のある存在ですから、日本はもちろんヨーロッパやアメリカで父に関連あることが書かれた本はできるだけ捜しだし、記録を調べました。それらをいろいろ読んでみて最後に残っている感想は、やはりうちの親父は可哀相な人だったなということです。

第二次近衛内閣の末期に、外務大臣を代えれば対米関係の改善が可能だろうと考え、近衛内閣は日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結に一生懸命働いた松岡外務大臣をはずすために総辞職をしたわけです。外務大臣を辞した父は、長年肉体を酷使して働いたのがたたり、肺を悪くして倒れてしまいました。戦争中はほとんど床につき、御殿場や伊豆で療養している状態でした。だんだん戦況が悪くなっていくのを見ながら、さぞ心配したりがっかりしたと思います。
私は終戦のときに海軍の情報部にいまして、親しい新聞記者が数人おりました。終戦になって連合軍が進駐してくることになり、そのうちの一人の記者から父に会わせてもらえないかと頼まれ、千駄ヶ谷の焼け跡に建っていたコンクリートの倉の中の病床にあった父に紹介しました。
商家だった実家が倒産したため父は10代のはじめにアメリカへ渡り、アメリカ人の家庭に住み込んで皿洗いをしたり、労働をしてむこうの大学を卒業しています。そのこともあって記者は「日本が戦争に負けて大変なことになったが、アメリカ人とはどんな人間なのか」と尋ねました。
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source : 文藝春秋 1989年9月号

