吉永小百合
吉永小百合のことを書くとは思っていなかった。この人の魅力はよくわからない、嫌いだと思ったことはないが、結局は縁のない人だ。そんな気持を、私はずっと抱きつづけていた。
そんなわけだから、世間が騒いでも、気分は醒めたままだ。サユリストという流行語にもぴんと来ない。おまえの眼が節穴だからだ、となじられようが、あ、そうですかと聞き流すだけだった。
きっかけのひとつは、コロナ禍だったかもしれない。ウイルス感染に対する恐怖や不安、経済活動に対する動揺や不信。世間にはびこるぎすぎすした空気が嫌で、この春、私は谷崎潤一郎の『細雪』を少しずつ読み返していた。
いうまでもなく、あの物語は豊饒な細部から成り立っている。衣食住はもとより、登場人物の体質や気性や癖などがいろいろと炙り出され、経済活動だけでは収まり切らない生命活動(生活)の数々が、色鮮やかに浮かび上がってくる。
谷崎は、この長大な物語を、第2次大戦のさなかに延々と書きつづけた。時代の流れや社会の空気は十分に知覚しつつ(疫病や水害の描写も印象的だ)、流れに押されたり、空気に染まったりすることなく、生活の淵源に横たわる「不易」や「反復」の部分を粘り強く描き出すこと。そんな姿勢を見ると、これぞまさに文学者の仕事、と感嘆せざるを得ない。
吉永小百合は、市川崑が映画化した『細雪』(1983)で、4姉妹の3女に当たる蒔岡雪子を演じていた。30歳を過ぎた雪子は、内気で寡黙だが、驚くほど芯が強い。設定を昭和13年に絞ったこの映画では、雪子の度重なるお見合いが、重要なテーマのひとつになっている。
このときの、吉永小百合の役作りが見事だった。地声が小さいので電話に出たがらない、という原作どおりの設定も面白いが、雪子には「ふん」という返事がことのほか多い。
ご承知のとおり、関西弁の「ふん」は「ふ」の音にアクセントがある。「花見に行くか」と依かれても、「会うてみるか」と問われても、雪子は「ふん」としか答えない。だが、ニュアンスが少しずつ異なる。イエスでもあり、メイビーでもある重層性が短い返事に込められていて、優柔不断ともミステリアスとも見える。
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source : 文藝春秋 2020年7月号