マスクを巡る論争が続いているけれど、欧米の各地で「マスクをしない自由」を訴えるデモが起こるたび、正直、私は不思議に思っていた。たかがマスクなのに、と。あんなに小さくて薄っぺらいものに拳をふりあげて断固拒否するほどの「不自由」がついてまわるのだろうかと疑問だった。
ノンフィクション本『戦争の歌がきこえる』は、そんな折、私に新しい視座を与えてくれた一冊だ。音楽療法士の著者が米国での体験を元に綴った本書の第一章にはこんな一文がある。〈言論の自由、報道の自由、集会の自由――彼らにとって「freedom(自由)」とは漠然とした観念ではなく、明確な権利であり、民主主義の象徴である。〉これを読んだ瞬間、自分の中でもやついていたものが少し晴れた気がした。そうか、自由の概念が違ったのか、と。詳しくは第4章でも触れられているため、同じもやつきを抱えている方はぜひ参考にしてほしい。
「自由」と同様に新たな視界が開けたのは、本書に登場する元米軍兵士たちの戦争の受けとめ方だ。ホスピスで音楽によるセラピーを施す著者に、死期の近い彼らは第二次世界大戦中の悪夢を語る。ある人は日本兵を殺したと。ある人は原爆開発にかかわったと。特徴的なのは彼らがあくまでもその過去を個として背負い、今なお激しい罪の意識に苛まれていることだ。著者も指摘しているが、日本では敗戦を機にすべての戦争責任が政府のものとなり、国民はみな被害者というひとかたまりの集団の中に溶けてしまった印象がある。一方で、戦勝国の兵士たちがいまだ加害者意識を個として抱え続けている。この奇妙な対比から目をそらしたくないと強く感じた。
〈(本文79頁より)「でも、あなたは自分が何をしているか、知らなかったのですよね」
私がそう言った途端に、彼は泣き出した。シーツの下では小さな体が震えていた。目的を知らなかったとはいえ、原爆開発にかかわってしまった罪悪感を、彼はずっと抱えて生きてきたのだろう。〉
出版ラッシュの昨今、読みごたえのある短編集が続々と刊行されている。『サキの忘れ物』は「短い枚数ではたして小説に何ができるか」という探究心に満ちた一冊で、じんわりと心温まる作品から、そう来たか、と意表を衝かれる作品まで、読後感も色とりどりの9編を堪能できる。
じんわり系の筆頭は表題作の「サキの忘れ物」。生きる環境に恵まれず無為に日々を送っていた若い女性が、ある年配の女性との出会いによって変わる。人生が動く。静かな語り口にして、ゴゴゴゴゴ、と行間から蠢く人生の音が聞こえてきそうな一瞬が見事に描かれ、いつまでも残響が胸に残った。
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source : 文藝春秋 2020年11月号