親子3代の日本留学。知日へのこだわりがサムスンを世界的企業に育て上げた——
<この記事のポイント>
●サムスン電子は創業者一族みんな「日本に学べ」の姿勢を貫いてきた
●李健熙の経営語録「質のためなら量を犠牲にしてもいい」は徹底した日本研究の結果
●政治に手を出さず、無口でひたすら“経営オタク”で脇目も振らずやってきたから成功した
「サムスン」の歴史は日本抜きには語れない
このほど亡くなった韓国の大財閥「サムスン(三星)」グループの李健熙会長(享年78)に韓国メディアは「偉人」「巨人」「英雄」…などと最大級の賛辞を贈っている。「サムスン」を半導体やスマホ、家電などで世界的企業に育てた立役者だったからだ。韓国ブランドを世界に広げた人物として国家的英雄というわけだ。
ところで「サムスン」の歴史は日本抜きには語れない。「サムスン」が「日本に学べ」で発展し大きくなったことはそれなりに知られている。しかし日本をよく知り、日本をバカにせず、慢心せず、最後まで日本に学んだからこそ、日本に追いつき、日本を追い抜くことができたのだ。
創業者の李秉喆は生前、新年は必ず東京に滞在し「東京構想」として経営戦略を練っていたことで知られる。後継者の息子・李健熙も韓国で「日本はもういい」といわれるなか、6年前に心筋梗塞で倒れるまで「日本には学ぶことがある。慢心するな」といい続けてきた。
「サムスン」の「日本に学べ」の象徴は親子3代の日本留学だ。初代の李秉喆と2代目の李健熙は早稲田で、3代目の孫・李在鎔は慶応で学んでいる。韓国の財閥トップで親子3代とも日本留学というのはない。息子や孫はその後、米国にも留学しているが、「サムスン」のトップはまず「日本に学べ」から人生をスタートさせてきたのだ。
李健熙の死に際し韓国メディアは「日本に負けるな」「日本に追いつけ、追い越せ」の話に多く触れ、いわゆる「克日」の体現者としてもてはやしていたが、徹底した「日本に学べ」や「知日」へのこだわりにはそれほど関心を示していない。
李健熙サムスン元会長
小学生の時に見た力道山に憧れてレスリング部へ
李健熙の少年時代からの友人は告別式の弔辞で、李健熙の思い出をこう語っている。
「高校時代にレスリング部に入った理由についてたずねたことがあるが、日本で数年過ごした小学生の時、プロレスの力道山の試合をたくさん見て尊敬したから、と語ってくれた」
「早稲田留学時代に彼の家に泊まったことがあり、よく夜通しラジオや電蓄(電気蓄音機)、テレビなどを分解しては組み立てていた。後に人生をかけることになる電子産業の基本を体験していたのだ」
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