加藤康男「双葉山の邪宗門」

文春BOOK倶楽部

中島 岳志 東京工業大学教授
エンタメ 読書

敗戦で「大義」を失った彼は、混乱に陥った

 1947年1月、金沢に本拠地を据えた新興宗教団体「璽宇(じう)」に警察の強制捜査が入った。いわゆる璽光尊事件である。このとき多くの人が驚いたことがあった。教祖を守ろうとして警察の前に立ちはだかったのが、あの元横綱の双葉山だったのだ。

 双葉山は1936年から39年にわたって69連勝という記録を打ち立てた大横綱で、引退後は時津風親方として後進の指導に当たり、日本相撲協会理事長も務めた。そんな双葉山が、引退後間もない時期に「璽宇」の熱心な信者となり、国家権力と対峙したのだ。いったい何があったのか?

 現役時代の双葉山は、杉本五郎『大義』を愛読する愛国者だった。天皇への敬愛を強く持ち、相撲に取り組んだ。しかし、彼にも体力の限界がやってくる。それは戦況の悪化と軌を一にしていた。

 1945年11月、戦後初の場所が開催され、双葉山も番付に名を連ねていたが、全休を余儀なくされた。そして、千秋楽を前に引退を表明する。

 そんな失意の双葉山に衝撃が走る。「天皇の人間宣言」だった。双葉山にとって、天皇は神の如き存在だった。しかし、天皇自らそれを否定した。拠り所にしてきた価値観が崩壊し、「大義」を失った彼は、混乱に陥った。

 そんな時に出会ったのが、囲碁の名人・呉清源だった。呉は囲碁界の第一人者で、当時、璽宇の熱心な信者だった。呉が双葉山に教祖の璽光尊に会うよう勧めると、信仰心の厚い双葉山は、自らの空洞を埋めるように璽宇に接近した。

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source : 文藝春秋 2020年12月号

genre : エンタメ 読書