「自由」を制限してもウイルスは消えない

東 浩紀 批評家・作家
ニュース 社会
「いまは我慢」「罰則強化」で解決するのか? そんな思考は現実逃避だ(取材・構成=石戸諭)

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▶︎福島事故の歴史を踏まえると、今後恐れるべきは政治家に加えて専門家の信用低下だ
▶︎飲食店の営業自粛や罰則は「時間稼ぎ」の手段でしかない。それなのに、今はその時間稼ぎが事故目的化してしまっている
▶︎新型コロナ禍で明らかになったのは、今の日本社会には長期的に考えることが欠如しているという現実だった
東さんphoto
 
東氏

数字を減らすのは時間稼ぎにすぎない

 年が明けた1月8日に、首都圏を中心に2度目の緊急事態宣言が発令されました。僕は哲学者や批評家として紹介されることが多いのですが、今の本業は2010年に創業したゲンロンという会社を運営することにあります。ゲンロンは言論誌や関連書籍を出版するほか、「シラス」という動画配信プラットフォームを運営している会社です。

 ほかにも、「ゲンロンカフェ」というトークイベントを行うスペースを作り、「SF創作講座」などのスクール事業も展開してきました。ゲンロンの事業は、人が集まることで生まれる「密」な関係が育まれることが売りなのですが、創業10周年の2020年から始まった新型コロナ禍で、会社の存在意義が問われるという事態が続いています。

 そんな僕の立場からすると、緊急事態宣言は歓迎できるものではありません。しかし、今回もやむを得ないという事情は理解できます。今は医療崩壊を防ぐために、感染者数の抑制が喫緊の課題です。しかし、「今、この時だけ」我慢すれば、コロナ以前の状況に戻れるわけがないこともまた事実です。

 感染者が減ったところで、また増加に転じる可能性は常にあります。イギリスのようにウイルスに変異が起きて、感染があっという間に拡大してしまえば、強いロックダウンをしても大きな効果が得られなくなってしまいます。必要になってくるのは、長期的な戦略として感染者が減らなかったらどうするか、という視点です。外出自粛で目の前の数字を減らすのは時間稼ぎにすぎません。そのあいだに医療体制の変更や関連法整備を進め、感染者増に耐えるよう社会の仕組みを変えなければ、意味がありません。その議論は国が責任を持って進めるべきだし、社会に見せる形で行われなければいけません。

 ところがいまはそうした議論がありません。その状況で私権制限が議論されるのは、感染症に対する恐怖に駆られ、「長期的には感染者は増える」という現実から目を逸らしているようにも見えます。感染者数を抑えると同時に、感染者増加を前提とした医療体制についての議論を進めるべきだというのは、まったく矛盾しない考え方です。

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去年は渋谷からも人が消えたが

嵐は過ぎるがウイルスは残る

 この数週間の状況を見ると、現場の医師や専門家を中心に上がっている「今、医療体制の議論をする余裕はない。とにかく感染者数を抑えることがすべてだ」という主張が広く社会の賛同を集め、影響力を持っています。最前線にいる関係者には敬意を表したいですし、彼らの緊張感はわかります。一方で、こうも思います。では一体、いつ議論すればいいのかと。

 加えて、「専門家」や「医師」の間で意見の相違があることも露わになってきています。「欧米より桁違いに低い感染者数で医療崩壊はおかしい。民間病院に協力を仰ぎ、お金を出せば病床には余裕を作ることができる」と主張する人もいる。他方で「感染者数を下げるだけでは不十分。もっと厳しい政策が必要だ」と言う人もいます。結果として、知識人を含めて、専門外の素人は自分が好きな意見を言ってくれる専門家の主張を積極的にシェアするという構図が出来上がっています。

 この状況は10年前の福島第一原発事故とその後の健康被害に関する論争を思い起こさせます。あの時も想定外の出来事が続き、目の前の数値を巡って様々な意見が錯綜しました。人々は自分が好きな専門家の意見を聞き、最終的には論争そのものに疲弊してしまい、データが出揃ってきた時には、すでに福島への関心を失っていました。

 今回の緊急事態宣言で感染者数を抑えられるのならば素晴らしいことです。ワクチン接種にも期待したいと思います。けれども、期待通りにならない可能性は常にあります。

 そもそもこれだけ大規模なワクチン接種は未知の事業です。警戒する国民は多く、接種がスムーズに進むとは思えません。副反応を巡る議論も起きるでしょうし、効果がどれだけ持続するのかも分かりません。変異株の問題もあります。日本が今まで運が良かっただけで、今後、欧米並みに感染者数が増加するというケースだってありうるのです。

 そうなったら医療体制はどうなるのか。それがいま議論すべきことです。「欧米並みに増加させないように、とにかく増えたら慌てて対策をして感染者数を下げる」という政策は、嵐が過ぎるのをとにかく待つという話でしかありません。嵐は過ぎ去ってくれますが、ウイルスは残り続けます。最初の緊急事態宣言が出た昨年4月~5月に政府は、今はみんなで我慢して時間を稼ぎ医療体制を整える、それで日常を回復するんだという話だった。ところが蓋を開けてみたら、第3波が起きても体制は変わっていませんでした。

 新型コロナ対応病床は一向に増えず、第1波の時に議論されていた専用病棟の話もどこかの段階でなくなっていて、いまさら慌てて開設している。国民はそういう現実を目の当たりにしています。感染者が一時期減ったことで、いつの間にか「日本の感染拡大を防いだファクターⅩを探す」という話ばかりが大きく取り上げられるようになった。政治家も国民も、みな希望的な「日本例外論」にすがって、いざという時を考えなかったのです。

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人の消えたパリ

専門家が信用されなくなる

 福島事故の歴史を踏まえると、今後恐れるべきは、政治家に加えて専門家の信用低下です。いまでもすでに、「多くの民間病院は、病院経営を守るためにコロナ疑いの患者を受け入れない。医療崩壊という言葉で国民に恐怖を植え付け、飲食業に休業を押し付け、自分たちの経営は守ろうとしている」と考えている人が一定数存在します。政治家と専門家は、長期的で納得のいく感染対策のヴィジョンを打ち出すことで、もう一度国民の信用を取り戻す必要があります。

 このままだと福島事故で起きたような分断が、新型コロナ禍でも繰り返されるでしょう。福島事故では関心の低下が起こりましたが、コロナで待っているのは、今以上に、政府や専門家の言うことを人々が聞かなくなる未来だと思います。

 そもそも、長期的なヴィジョンなく、「自粛」ベースで国民に我慢を強いて感染者数だけ下げるという政策は、1回しか使えないカードです。回数を重ねるほどに「また自粛のお願いがきたけど、政府と専門家はなにやっているの?」となる。

 その兆しは今回既にはっきりあらわれています。1回目の緊急事態宣言と比べて人出が減っていないとメディアは批判しますが、批判だけしても意味がありません。なぜそうなるかを考えなければならない。

 会社経営で出会う人たちと話していると、結局、諸外国を見てもまだまだコロナ収束はないという現状認識のもと、政府は特に打つ手がないようだし、専門家の言うことを素直に聞いていても生活は成りたたないので、生活防衛をまず第一に考えようという人が少なくない数いることがわかります。彼らは緊急事態宣言の発令でも右往左往せず、言われたら一応は店を閉め、早く帰りはするけれど、なるべく日常を維持し、生活していこうと考えている。そういった市井の人々の信頼を取り戻さないといけません。

感染拡大と自由は二者択一か

 ところが実際には、政府や地方自治体の首長が推進しようとしているのは、長期的な医療体制の議論ではなく国民への罰則強化です。関連法を改正し、入院を拒む感染者に刑事罰を導入することや、営業自粛命令を聞かない飲食店など事業者に対して罰金を盛り込むという政策が検討されるまでになりました。

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source : 文藝春秋 2021年3月号

genre : ニュース 社会