バッハIOC会長「ぼったくり男爵」の正体

熊谷 徹 ジャーナリスト
ニュース 国際 スポーツ
金メダリストから頂点に昇りつめた男はオリンピック商業化の尖兵だった

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バッハの戦略は牡蠣のように固く口を閉ざして、強行突破することだ。こうした強引さは、華々しい成功を収めてきた彼の人生とつながっている
▶近年の五輪は「あまりにも商業化の傾向が強い」と嘆く人が多い。ドイツでは「バッハが五輪の商業化に拍車をかけた」という主張がある
▶バッハのこれまでの人生で目を引くのは、挫折がないことだ。フェンシング選手、ビジネスマン、スポーツ官僚いずれの分野でも、華々しい成功しか経験していない

幸福とは言い難かった少年時代

「五輪の夢を実現するには、全員が何らかの犠牲を払わなくてはならない」

 5月22日、国際オリンピック委員会(IOC)会長トーマス・バッハ(67)は、こう発言した。パンデミック下での東京五輪は大きな試練だが、成功すれば彼の経歴を飾る大輪の花にもなる。バッハの戦略は牡蠣のように固く口を閉ざして、強行突破することだ。こうした強引さは、華々しい成功を収めてきた彼の人生とつながっている。米ワシントン・ポスト紙に「開催国を搾取するぼったくり男爵」と批判された男はどのような人生を送ってきたのか。

 バッハは1953年にドイツ南部の古都ヴュルツブルクに生まれた。家族はその後まもなく同市近郊のタウバービショフスハイムという人口約1万3000人の小さな町に引っ越す。彼が住んだ家の外壁には、「ここにトーマス・バッハIOC会長が住んだ」という金色のプレートが取り付けられている。

 バッハの少年時代は、幸福とは言い難かった。両親は洋服の寸法直しを行う店を経営していたが、父親が心臓病を患っていたので、母親が昼夜の別なく働いた。父親が病弱だったのは、第二次世界大戦中にソ連軍の捕虜収容所に拘留されたためだ。ドイツの日刊紙「ビルト」の取材に「私が物心ついてから父は常に病気だった。枕元には酸素ボンベが置かれ、発作が起きるたびに母が父に酸素マスクを渡していた」と語っている。バッハが14歳の時、父親は58歳で死去。バッハは後年「金メダルを父親に見せられなかったことは、今もつらい」と述べている。彼が5歳の時からサッカーやテニスなどスポーツに打ち込んだのも、家庭の暗さから逃避するためだったのかもしれない。同時に「14歳で父親を失ったことは、私に自立心と責任感を植え付けた」とも語っている。

 父を失った年、バッハは町でフェンシングの卓越したコーチと出会った。エミール・ベック。後に西ドイツ・ナショナルチームのコーチとなった人物だ。彼は1967年にフェンシング・クラブを開いて、町の若者たちを指導し始めた。バッハはこのクラブに加盟した年、早くも西ドイツ・フェンシング選手権の少年部門(フルーレ団体)で優勝している。

 バッハの身長は171センチで、ドイツ人としては背が低い。彼はビルトのインタビューで、「背の低さはフェンシングの選手としては不利だ。私はこの短所を補うために、特殊な戦法を編み出した。守勢に追い込まれているように見せかけて相手を油断させ、素早く敵に一撃を与えるのだ」と語っている。

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バッハ氏

アディダスを通じて実業界に

 バッハは1973年から6年間にわたり名門ヴュルツブルク大学で法学と政治学を学んだが、この時期はスポーツマン人生の絶頂期でもあった。1976年モントリオール五輪のフェンシング競技(フルーレ団体)金メダル、翌年のブエノスアイレスでの世界選手権金メダルを含め、1973年からの6年間に五輪、世界選手権、西ドイツ選手権で得たメダルの数は12個にのぼる。

 バッハは1979年にメルボルンの世界選手権で銅メダルを取ったのを最後に、フェンシングの世界を退き、実業界へ向けて歩み出す。弁護士資格の取得に必要な2回の国家試験に合格した後、論文を書いて法学博士の肩書も得た。ドイツの実業界で要職につくためには法律家の資格とドクターの肩書は重要だ。

 若い弁護士バッハに、ビジネスの手ほどきを行ったのは、スポーツ用品メーカー・アディダス社のホルスト・ダスラー社長だった。彼は1949年に同社を創業したアドルフ・ダスラーの長男で、アディダスを世界最大のスポーツ用品メーカーに成長させた。ホルストは、1985年にバッハを国際マーケティング担当部長として採用した。バッハは社内で「ホルストの副官」と呼ばれるほど親しい間柄で、ホルストが死ぬまで2年間同社で働いた。

 知名度が高いバッハは、様々な企業から引っ張りだこだった。特に関係が深かったのは欧州最大の電機・電子メーカー、シーメンスで、2000年から8年間、顧問を務めたほか、スイス子会社の取締役としても働いた。ドイツの調査報道ウェブサイト「コレクティーフ」は、「バッハはシーメンスとの顧問契約に基づき1年に40万ユーロ(5200万円・1ユーロ=130円換算)の報酬を得ていた」と報じている。

 バッハを一時的に監査役か顧問として雇った企業のリストには、機械関連サービス企業フェロシュタールなど大手企業が並ぶ。前述の「コレクティーフ」は、「シーメンス社やフェロシュタール社がバッハを顧問として雇った理由は、彼がアラブ諸国に密接なパイプを持っていたからではないか」と推測している。

 彼は2006年から2013年まで、アラブ・ドイツ商工会議所の会長を務めた。1976年に創設されたこの団体の任務は、アラブ諸国とドイツの企業間の貿易を促進することだった。クウェートの元エネルギー大臣で「国際スポーツ界の黒幕」と呼ばれるアフマド・アル・ファハード・アル・サバーハとも親しい。アル・サバーハは一時、IOC委員も務めており、2013年の会長選挙ではバッハを強く推した。

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モントリオール五輪で金メダル

五輪官僚として急速に出世

 バッハはドイツの官界、政界でも顔が広かったが、最も成功を収めたのは、国際スポーツ界の官僚としてだった。彼は若い頃から団体役員としての活動に熱心で、1975年から4年間にわたり西ドイツ・フェンシング連盟のスポークスマンを務め、79年にはドイツスポーツ連盟のアスリート委員会の委員長に就任。1981年にはIOCが新設したアスリート委員会に加わり、翌年にはドイツ五輪委員会の委員となった。

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source : 文藝春秋 2021年7月号

genre : ニュース 国際 スポーツ