宇宙を支配する「量子科学衛星」の脅威

総力特集 中国共産党の「野望と病理」

青木 節子 慶應義塾大学教授
ニュース 国際 中国 テクノロジー
中国が「宇宙」を通じて「世界」を支配する日がやってくる!?

「宇宙」は“身近なもの”

「宇宙を制する者が地上をも制す」――「宇宙」と「地上」は、まるで“合わせ鏡”のようで、「地上」での覇権争いが、より熾烈な形で現れるのが「宇宙」です。「宇宙」を眺めていると、地政学の最良の教科書のように、各国の覇権争いや実力差がくっきりと見えてきます。

 しかも「宇宙」は、以前よりも私たちにとって“身近なもの”になっています。旅費が数十億円にもなる「宇宙旅行」の話だけではありません。カーナビなしの車の運転がもはや考えられないように、「私たちの日常生活」自体がすでに「宇宙」と切っても切れない関係にあるのです。ですから「宇宙」で起こっていることは、私たちにとっても決して他人事ではありません。

 かつて、「宇宙」で鎬を削ってきたのは、冷戦期の米国とソ連でした。それが今では役者が代わり、米中の二大国が熾烈な覇権争いを展開しています。

 現在、米中は、「海洋」をめぐって激しく対立しています。とくに南シナ海は主戦場で、中国が「九段線」を勝手に引いてほぼ全域を「自国の領海だ」と主張し、次々に人工島を造成して軍事拠点をつくっているのに対し、米国は、海軍の軍艦を派遣して「航行の自由」作戦を展開し、中国の動きを牽制しています。

 米国の行動は、近世以来の対立、葛藤、論争、合意を経て培われてきた「海洋をめぐる国際的な慣習や法秩序」を守ろうという意志にもとづいています。米国が守ろうとしている「海洋法」には、長い歴史があり、さまざまな条約と膨大な判例の蓄積があるわけです。これに対して、「宇宙法」は、同じ国際法の分野であっても、歴史が浅く、未成熟な分野で、国連がつくった条約もわずか5つのみです。加盟国も他の分野と比較して少ないと言えます。

“無法状態”の宇宙空間

 中国は、歴史のある「海洋法」においてですら身勝手な行動をしているわけですから、法形成が不十分、若干誇張すると“無法状態”ともいえる宇宙空間で、どんな振る舞いに出るのか、西側諸国、とりわけ米国は警戒を強めています。

 国家間の合意にもとづく「宇宙法」の整備は、まさに今、その途上にあります。

 6月上旬にウィーンで「宇宙空間平和利用委員会・法律小委員会」が開かれ、私が議長を務めました。現在、最も議論が白熱するのは、宇宙資源の探査・開発・利用(政治的配慮から採取や商取引という言葉は使っていません)をめぐる法制度についてです。1967年の「宇宙条約」では、天体の土地所有は禁止されていますが、天体の資源(月や小惑星の水資源や鉱物資源)の所有については何ら規定がありません。そこで、禁止されていないことは自由であると解釈する国もあれば、それを牽制して、国連で明確な合意を作らなければ採取は違法という国もあり、その間にもさまざまな見解があります。議論を整理するための作業部会を設置するかどうかが、法律小委員会の今年の課題でした。幸い、円滑に設置されましたが、任務の範囲や作業方法は決められませんでした。

「宇宙法」の安全保障に関する大きな枠組みとしては、英国が主導し、日本も共同提案国になって、2020年12月の国連総会で「宇宙空間における責任ある行動に関する決議案」が採択されています。中露は反対していますが、この決議に従い、「地上局や通信回線も含めた宇宙システムに対する脅威とは何か」、「どんな行動が責任ある行動か」についてすでに各国が見解を国連事務総長に提出しました。今後、国連で議論が進むと予想されます。

 これは一言で言えば、「責任ある行動」というキーワードで“無法状態”の宇宙空間における中露の行動を縛ろうとするものです。

 とくに中国は、米国を凌ぐ驚異的なスピードで、宇宙活動の「5か年計画」をたて、当初の予定通りに着実に、宇宙開発を進めています。中国に技術的な先行を許してしまえば、今後、国連内外で行う「宇宙法」形成においても、中国に主導権を奪われてしまう恐れがあるのです。

21世紀のスプートニクショック

 1957年10月、米国に衝撃が走りました。「スプートニクショック」です。人工衛星の打ち上げにどちらが先に成功するかを米ソが競っていたなかで、ソ連が世界初の打ち上げに成功したのです。このニュースが流れると、先を越された米国民は集団ショック状態に陥りました。

 そして2016年8月、「21世紀のスプートニクショック」とも言える事件が起こります。中国が「量子科学衛星」というこれまでなかったタイプの人工衛星「墨子」の打ち上げに成功したのです。

 量子科学衛星とは、量子暗号通信技術を搭載した人工衛星のことです。この通信技術は、光子(光の粒子)の性質を利用したもので、いかなる計算機でも解読できず、盗聴・傍聴が原理的に不可能とされています。

 量子暗号通信は、軍事、外交、金融市場など、秘匿性の高い情報伝達が死活的に重要な分野での覇権を左右する技術です。

 ただこれを地上の光ファイバーを用いて行う場合は、光の減衰が生じるので伝播損失が激しく約300キロメートルしか伝送できないという欠点があります。そのため、例えば、日本全国をカバーするには、3000~5000程度の地上局を設置する必要があると言われています。

 しかし、量子科学衛星を用いると、こうした問題も一挙に解決します。人工衛星は真空を航行するため、光の減衰が起こらず、全世界をカバーする量子暗号通信網が可能になるのです。

 そこで中国は、量子科学衛星をいち早く打ち上げました。実用化には、衛星の通信実験だけでなく、衛星と地上をつなぐ技術や施設も必要となりますが、中国は、この分野でも技術開発を先行して進めています。

 現在、宇宙と量子暗号のやり取りができる人工衛星は、「墨子」のほかにありません。軍事・外交のパワーバランスに直結する死活的に重要な技術開発分野で、米国は、中国の後塵を拝してしまったのです。

 表面上、米国は沈黙を守っていますが、この不気味なほどの沈黙は、むしろ量子科学衛星の重要性を知悉する米国の宇宙・防衛関係者のショックがいかに大きかったかを物語っているように感じます。

量子科学衛星「墨子」
 
世界唯一の量子科学衛星「墨子」の模型

中国の宇宙ステーションだけが?

 中国の宇宙開発は、その他の分野でも留まるところを知りません。

 2019年1月、中国は、世界で初めて、月の「裏側」への探査機(「嫦娥4号」)の着陸を成功させました。「見えない場所」に着陸させ、しかも、気温なども過酷な環境下で着陸後も探査を継続するのは、至難の業と言えます。

 月面だけでなく火星探査でも中国は、破竹の勢いです。

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source : 文藝春秋 2021年8月号

genre : ニュース 国際 中国 テクノロジー