著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、田原総一朗さん(ジャーナリスト)です。
オヤジを表す言葉は、優しい、お人よし、能天気……。僕が楽天的なのは、明らかにオヤジの遺伝だと思う。逆に、おふくろは、すごく厳しい人だった。僕とオヤジの2人が、いつもおふくろから怒られていたものだ。
小学校の時、授業中に窓の外を見ると、なぜかオヤジが立っていたことがあった。オヤジは外から窓をあけ、私に向かって「映画を観にいこう」と。そのまま授業をさぼって、2人で映画を観にいった。もちろん、おふくろには内緒で。
うちの家業は元々、糸の仕入れだったらしい。祖父の代までは蚕を飼っている農家から糸を仕入れ、横浜の大きな商社に卸していた。それがオヤジの代になって、紐をつくる工場を始めたのだ。従業員が5~6人の小さな町工場だったが、生活は安定していた。
ところが、私が小学校1年生の年の12月、太平洋戦争が始まった。戦争が長引くにつれ、工場に原料が一切来なくなり、とうとう閉鎖せざるを得なくなってしまったのだ。それからが大変だった。オヤジは別の商売を始めたものの、商売の才能が全くなかった。
敗戦してからも、オヤジの苦労は続いた。良い仕事が見つけられず、我が家は苦しい生活が続いた。お金がないので家の物をどんどん売って、最後は仏壇まで手放したことを覚えている。
事態が好転したのは、私が高校2年になった頃だった。オヤジの小学校の時の同級生が、地元の彦根信用金庫で、組合理事になったのだ。その同級生がオヤジに同情してくれて、組合の集金人として雇ってくれた。このおかげで、なんとか生活が出来るようになった。
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source : 文藝春秋 2022年1月号