「真理子さんは『文壇の母』です」
林さん(左)と小佐野さん(右)
「記憶にございません」
林 はじめて会ったのは、「桃見の会」のバスの中だったよね。
小佐野 はい。真理子さんが毎年、編集者さんを40人くらい連れて行かれる故郷の山梨での桃狩りに、僕も呼んでいただきました。
林 3、4年前だったかな……。「小佐野」という名字を聞くとピンとくる人も多いかもしれないけれど、大伯父さんが国際興業グループの創業者、小佐野賢治さんなのよね。
小佐野 そうなんです。
林 山梨が生んだ超有名実業家じゃない。
小佐野 悪名の方ですね(笑)。ロッキード事件のときに証人喚問で繰り返した「記憶にございません」のイメージが強いでしょうから、世間の印象は悪そうです。
林 そんなことないわよ。でもあの日、バスの中で彈くんが家族や自分のことをいろいろ話すのを聞いて、私が小説を書くよう勧めたのよね。
小佐野 そうです。はじめての歌集を出したばかりだったのですが、真理子さんが「あなた、これだけおしゃべりで話が面白くて、小佐野家でゲイで……。ネタの宝庫なんだから、絶対小説を書きなよ。短歌もいいけど、小説の方がいいわよ」って言ってくださいましたよね。
林 そうそう。小佐野家の物語を書きなさい、と。そしたら、バスの中が一気にスカウト合戦みたいになって。いろんな社の編集者が、「私がやりたい」と手を挙げていた。
小佐野 まだ小説は一文字も書いたことないのに、本当に恐れ多いし、恥ずかしい限りでした(笑)。
大伯父の小佐野賢治
ボディガードに見守られ
1983年生まれ、38歳の小佐野彈氏。幼稚舎から慶應義塾に通い、同大大学院博士課程まで進んだのち、台湾に移住しカフェチェーンを起業する。中学生の頃に始めた短歌では、2017年に短歌研究新人賞を受賞。以後、歌集のほかに小説も発表している。性愛の対象が同性であることを明らかにしていて、セクシュアリティに関する作品も多い。
大伯父である小佐野賢治氏は、国際興業グループの創業者で、不動産、運輸、観光事業等で成功し、「ホテル王」との異名をとった。
林 あのとき私が勧めた『小佐野家の人々』の執筆は進んでる?
小佐野 いやぁ……。実はデビュー作の『車軸』とほぼ同時進行で800枚くらいの第1稿を書き上げて、かなり前に編集者の方に渡したのですが、その後、最近本になった『僕は失くした恋しか歌えない』(以下、『僕なく』)の連載のお話をいただいたりしているうちに、改稿作業がしばらく止まってしまっていました。
林 まあ。
小佐野 でも、去年は純文学中編を2本発表できましたし、11月には歌集と小説を出せたので、いまは集中して大工事に取り組んでいます。
林 すごく楽しみ。小佐野家の話ならネタには事欠かないでしょう。
小佐野 賢治おじちゃんの家は、世田谷の僕の実家の隣だったんですけど。隣という感じがしない。
林 え?
小佐野 隣なんですけど、あまりに大豪邸で隣という感じがしません。ひとの気配がしないんです。
林 ほー。
小佐野 細い道を1本挟んで向かいなのですが、まず広大な森があって、その奥にはさらに竹林があるから、家なんて全然見えないんです。緑の間から唯一、おじちゃんちのでかい給水塔が見えるという(笑)。
林 給水塔って……。彈くんが小学校のとき、登下校にはボディガードがついていたんでしょう?
小佐野 ボディガードというと大げさですが(笑)。当時はうちも、「Forbes」の日本長者番付で上位にランクインしていたりしたので、祖父がすごく心配して、会社関係の警察OBの方に登下校を見守ってもらっていたらしいんです。僕は卒業するまで気付かなかったけれど。でも実際、兄は近所の歩道橋でさらわれかけたことがありました。
林 スケールがちがうものね。作家でそんなにお金持ちの人っていたかしら。白樺派以来じゃない?
小佐野 そんな、恐れ多い(笑)。(賢治)おじさんは小作人の家の出ですから。うちは水呑百姓出身の成り上がりなんです。
林 またまた(笑)。彈くん自身も会社を経営しているのよね。
小佐野 大学院生のとき、抹茶で有名な辻利さんの海外での商標使用権を買いました。台湾をはじめ、いま10ヶ国くらいで展開しています。
林 すごいな。小佐野家の人はみんな事業の才能があるのかしら。
小佐野 大伯父や、その後を継いだ祖父は天才だったと思います。従業員一人ひとりの顔と名前はもちろん、どの子会社のどこにいるということまですべて頭に入っていました。関係するホテルやゴルフ場なんかの電話番号も全部覚えていました。それに“スーパー現場主義”だったから、毎朝、誰よりも早く出勤してあくせく働いていたと聞いています。
林 彈くんは、事業と学業、歌人や小説家としての活動を両立してきたのよね。
小佐野 僕は大伯父や祖父とは真逆で……。会社を興した当時は泥臭い仕事もたくさんやりましたが、もともと気分屋であちこち目が向いてしまうたちなので、現場主義は絶対に向いていないとわかっていた。5年くらい前に会社が完全に軌道に乗ったので、CEOから退いて会長職だけを担うようになりました。
林 じゃあ、あまり会社には顔を出さず?
小佐野 1ヶ月に1回くらいですね。つい最近、「風水上よくないと言われたので」と、僕の机と椅子が撤去されました(笑)。この前行ったらもう跡形もなくて、小さなソファがぽつんと置いてありました。
林 でも、お金持ちは3代目で文化の華開くっていうけれど、彈くんなんかまさにそうじゃない。大伯父さん、おじいさんと続いた小佐野家は、とうとう芸術家を出したのね。
小佐野 どうなんでしょう。いまのところ、自分がたいそうなものだとは思わないのですが(笑)。
青年期の葛藤が綴られる
“普通の恋”をしなきゃ
林 短歌を始めたのは中学生のときだと聞いたけど、どうして短歌だったの? 小説や詩ならまだわかるような気がするけれど……。
小佐野 短歌は僕にとって、免罪符みたいなものだったんです。
当時通っていた慶應の1学年下に、いまや芥川賞作家の朝吹真理子さんがいました。幼稚舎から一緒でもともと仲はよかったのですが、1年先に僕が中等部に上がると、彼女から「彈ちゃんがいない幼稚舎はとても寂しいです」と手紙が送られてきた。すごく愛情がこもっていて、そこから文通が始まりました。
林 朝吹さんは彈くんに思いを寄せていた?
小佐野 ちがうと思います。朝吹さんが寄せてくれていたのはおそらく、とても純粋な、名前の付けられない、単なる友情でも恋でもない親愛の情のようなものでした。僕も僕で、なんとなく自分の性愛の対象は同性なんじゃないかと気づき始めていました。だからこそ、セクシュアリティのことで生きづらくなっていた僕には、この文通が唯一の心のよりどころだったんです。
林 そういうかたちもあるのね。
小佐野 そんなとき、友人たちが、「あいつ、ホモなんじゃね?」と噂し始めた。「ヤバいヤバい、“普通の恋”をしなきゃ」とものすごいプレッシャーを感じるようになりました。だんだん親までも「この子はまさかゲイじゃないでしょうね」と気にする素振りを見せるようになってきて。それで、今でも覚えていますが、夏休みの家族旅行で行ったミュンヘンのバイエリッシャーホーフというホテルのスイートルームにあった立派な便箋に、「僕と付き合ってくれないか」と書いて朝吹さんに送ってしまいました。
林 カモフラージュのために?
小佐野 そう。朝吹さんを彼女という設定にすれば、すべて乗り切れるんじゃないか、なんてずるいことを考えて。
林 それで?
小佐野 一気に気まずくなって、僕たちの文通は終わりました。
林 まあ。
チョコレート革命と免罪符
小佐野 唯一の心の支えを失い、「学校には行きたくない。でも『恋』という自分のキラキラした青春は諦めたくない」とすごくアンビバレントな状態になってしまった。自分で自分がアンコントローラブル(制御不能)になっていたとき、いつも学校帰りに寄る本屋さんで、『チョコレート革命』が平積みになっているのを見たんです。
林 俵万智さんの3冊目の歌集ですね。
小佐野 はい。短歌なんてまったく興味がなかったけれど、全面がチョコレートのパッケージ風の表紙がおいしそうで手に取りました。
〈知られてはならぬ恋愛なれどまた少し知られてみたい恋愛〉という歌が目に飛び込んできたとき、これだ、と思いました。
林 不倫の恋を詠んだ歌集よね。
小佐野 そうです。不倫ではないけれど、道ならぬ恋という意味では自分の恋心も同じだと思い、「これはやるしかない」とレジに持っていきました。帰りの電車でもずっと読んでいて、家に着くなり国語のノートを引っ張り出し、それからは生活のなかで思いついた五七五七七を書き留めるのが習慣になりました。
林 それで短歌かぁ。
小佐野 それに、俵さんがあとがきに、「『ほんとう』を伝えるための『うそ』は、とことんつく。短歌は、事実を記す日記ではなく、真実を届ける手紙で、ありたい」と書いていて。それで、短歌だったらもしも誰かに読まれても、作品であって嘘だと言えるんじゃないかって、許されたような、免罪符を与えられたような気持ちになったんですよね。
俵さん
短歌はまるで呼吸
林 最近は小説も書くようになったけど、小説の方が自分に向いていると思うことはない?
小佐野 僕にとって、短歌は呼吸のようなものなんです。日々息をしているなかで心の中に溜まったものがふとした瞬間、ため息と一緒に出てしまうというか。だから作為もいらないし、自然体でいられる。
それに、『万葉集』の時代から誰かへの“手紙”として機能していたからか、短歌は顔の見える誰かに想いを打ち明けているイメージです。
林 小説はどう?
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source : 文藝春秋 2022年4月号