偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。
★恩地日出夫
映画監督の恩地日出夫は、社会派と言われ青春映画の巨匠とも称されたが、一貫して人間の生と死を追求した。
大きな転機が1966(昭和41)年公開の内藤洋子主演『あこがれ』だった。木下惠介が以前書いた台本を山田太一が書き直し、恩地は初めて商業的に成功する。「この作品は、『社会が悪い』の責任回避傾向から僕を解放することになりました」。
33年、東京の世田谷に生まれる。父親は米系貿易会社のサラリーマン。中学時代にノンフィクション作家となる本田靖春と出会い、都立千歳高校では2人で新聞記者を目指していた。慶應義塾大学経済学部を卒業し、迷った末に東宝に入社する。
東宝では助監督となり、黒澤明の愛弟子・堀川弘通監督に鍛えられながらシナリオを次々に発表した。あるとき藤本真澄製作本部長(当時)に酔ってからみ、翌日、藤本から呼び出される。これはクビかと思ったが、藤本はシナリオを褒めて「撮れよ」と言う。
ためらいはあったが、少年院を出所した若者が冷たい社会のなかで破滅していく『若き狼』を61年に公開する。製作時27歳で、松竹の吉田喜重とともに「最年少監督」だった。63年には団玲子主演の『素晴らしい悪女』が話題になったが、翌年、団主演の『女体』では実際に牛を屠って撮影したことが批判され、しばらく作品から遠ざけられる。
監督を続けられたのは『あこがれ』がヒットしたお陰だった。純愛路線を撮ったのは会社の配慮によるが、67年の内藤主演『伊豆の踊子』も好成績だった。翌年の『めぐりあい』では酒井和歌子を初主演させ「青春映画の巨匠」との賛辞もあった。
このまま純愛路線を突っ走るかと思われたが、70年、万国博覧会の電力館で上映するドキュメンタリーを撮ったのがテレビに向かうきっかけとなる。まず翌年からの伊丹十三をリポーターにした紀行番組『遠くへ行きたい』の仕事は「実に新鮮だった」。
また、74年にはじまったテレビドラマ『傷だらけの天使』でも監督として5回分を担当する。特にオープニングで萩原健一が乱暴にトマトを齧り牛乳を飲むシーンは、今もネットで人気が高い。「ショーケンは撮影前日には長い電話をかけてきました」。
さらにドキュメンタリーへのこだわりは、79年のセミドキュメンタリー『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』につながった。この作品は本田の『誘拐』を原作とし、泉谷しげるが犯人を好演した。
遺作となった2003(平成15)年公開の『わらびのこう 蕨野行』は姥捨てをテーマにした作品で、8年間かけた。主演の市原悦子はその間ずっと付き合ってくれた。「自主上映なので、私も作品と全国を歩きました」。(1月20日没、肺癌、88歳)
◇
★西郷輝彦
歌手で俳優の西郷輝彦(本名・今川盛揮)は、次々とヒットを飛ばし「御三家」の一人とされ、テレビドラマや映画でも存在感を示した。
1966(昭和41)年、『星のフラメンコ』が大ヒットする。スペインの闘牛士のような衣裳をまとい、独特のリズムで歌ってファンを魅了した。子供たちにも西郷の真似をするのが流行り、「まちがいなくこれは売れると思った」。
47年、鹿児島県の谷山町(現・鹿児島市)に生まれる。父は呉服店に勤め、自宅でも衣類を商っていた。2人の兄と1人の姉がいたが、次兄は病気で亡くなり、ドラムを教えてくれた長兄も西郷が15歳のとき水死している。
鹿児島商業高校ではブラスバンドに入ったが、大阪のジャズ喫茶で歌手を募集中と知って家出した。選考には落ちたがバンドボーイになって転々とし、浅草のジャズ喫茶で歌っているときレコード会社の社員の目にとまる。
最初のレコードは64年の『君だけを』で、それまでの歌い方を直させられ、甘く悲しく歌って60万枚売り上げた。行く先々で人だかりができたので「もしかしたら大変なことが起こっているのではないかと思った」。
同年の『17才のこの胸に』も好評で、両曲で日本レコード大賞新人賞を受賞する。66年には『星のフラメンコ』が大ヒットし、橋幸夫、舟木一夫とともに「御三家」と呼ばれた。しかし「歌手としてのピークはせいぜい3年か4年のことでした」。
72年、歌手の辺見マリと結婚するが、2人の子供を得ながら、9年間で離婚している。歌手から俳優への移行期で、テレビドラマに出演しているときスタジオで歌ったところ、スタッフに「どうしたんです、発声が時代劇みたいですよ」と言われたという。
迷いを抜け出す切っ掛けは73年から始まった花登筺脚本のドラマ『どてらい男』だった。丁稚から苦労の末に成功する物語で、平均視聴率が30%を超える。「人生の記念碑的作品でした」。75年からの『江戸を斬る』の遠山金四郎も高い評価を得た。
もうひとつの転機が、87年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で片倉景綱を演じたことだった。景綱は早い時期に死ぬ予定だったのに、「景綱を殺すな」との投書が相次いだ。「脇役の難しさと面白さを知った」という。
この10年ほどは、癌を患い闘病生活が続いたが、ツイッターで病状を報告し、同じく闘病を続ける人たちに激励の声をかけていた。(2月20日没、前立腺癌、75歳)
◇
★渡邉允
元宮内庁侍従長の渡邉允は、上皇が皇太子だった時代から海外への旅に随行し、皇室外交を補佐した。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2022年4月号
genre : ニュース