こわれる

ハコウマに乗って 第15回

西川 美和 映画監督
エンタメ 映画

 宇宙戦争も、隕石衝突も、大災害も、あらゆる惨事はハリウッド映画で観ることができる。映像技術の躍進は目覚ましく、動物が痛めつけられる場面、建物が破壊され、森が焼きつくされる場面、銃弾を浴び、人の手足がちぎれる場面など、かつては実物への仕掛けに頼らざるを得なかった危険な描写を、一切の犠牲なしにCGで再現できるようになった。

 だから私たちは知っている。どんなに危険な場面でも、これは嘘なんだと。お化け屋敷と一緒である。怖いけど、本物じゃない。誰も傷つかない。しかも最後は、そう悪くない結末が用意されている。安全を担保されているから、どんどん感覚は鈍化し、より強い刺激を求めて行く。

 けれどその反動か、私は実際に悲惨すぎる情景を目撃すると、「作り物なのではないか」「最後は丸く収まるだろう」と思ってしまう。正常性バイアス、と呼ばれる反応だろうか。ことを矮小化し、安全圏に思考を逃がしたがる。初めてそう感じたのは1995年の阪神淡路大震災の映像だった。日本の都市が丸ごと破壊され、炎に飲まれるようなことは、昭和20年に完結したはずだと信じていたのが、ひっくり返った。それはまさに「映画でしか観ない風景」であり、現実に起こるなんて、受け入れられなかった。

 けれどそれから四半世紀、自然災害はいつも忘れた頃に各地を奇襲した。東日本大震災の折には、津波が引き金になって原発という超不自然な科学の是非を揺るがした。どれほど社会が進化しても、自然は容赦なく私たちの泣き所を突き、理由なく人を襲い、矛盾を暴き出す。1つの地域が復興しかけてはまた別で起こる災害の映像を見ながら、この列島に生きるとは、いつ崩れるかしれない尾根の突先を歩くようなものだと呑み込んでいくしかなかった。

 その上で今、ウクライナの景色を目の当たりにしている。コンクリートのビルが爆撃され、赤い炎が出ているのを、嘘のように眺めている。破壊に満ちたフィクションの映像には麻痺しているくせに、やっぱり心が、すくんでいるのだ。本当はそこまでひどいことにはなってないのでは? 原発を占拠するとか、核兵器のボタンを押すとか、こけおどしだろう? 建物を爆撃され、荷物を抱えて欧州の国境を越えていく人々の姿を見るのは、いつもファシズムの時代を描いた映画や白黒の記録映像だった。ナチスだけでなく日本にも、またそれを打ち負かした連合国側にも共通に、子供を殺すことなどものともしない残虐な通念がまかり通った過去の時代の情景であり、まさかこの21世紀に、人の住む場所に、公共施設や病院に、妊婦や子供に、近代国家がミサイルを撃つもんですか。私はそういう教育を受けて育っていない。少なくとも戦後、全世界の人間がそれだけは「してはならない」と教えられて育ったはずだという幻想があった。しかし移動のバスを待ち、駅や避難所で身を寄せ合う人々の手には、私と同じスマートフォンが握られている。着ている物は小綺麗で、数日前まで当たり前に人間らしい生活をできていた人たちなのだとわかる。まぎれもなく今そこで戦火が上がっているのだ。

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source : 文藝春秋 2022年5月号

genre : エンタメ 映画