人生の深淵を見つめて
生きる活力を失い、いわれのない虚無感とともにスランプに陥った30歳の春。「僕」は人間関係を断ち、すがる思いで山へ向かう。標高1900メートルのアルプス山中、ひとり籠もったのは、渓谷に建つ小さな山小屋だった。集落の名前はフォンターネ。
「山」をテーマに描くイタリア人作家パオロ・コニェッティが、みずからの葛藤を描く魂の再生の物語。1978年、ミラノ生まれのコニェッティは、40近い言語に訳された長編小説『帰れない山』(新潮クレスト・ブックス)で大きな評価を得るのだが、本書は、この代表作の3年前に執筆されたものだ。
ペンを放棄した先行きの見えない日々、コニェッティには精神の支柱となった書物があった。『森の生活 ウォールデン』(H・D・ソロー)、『ある山の歴史』(E・ルクリュ)、とりわけ『荒野へ』(J・クラカワー)。森や山は、人生を深く生きたいと願う者にとって、何を語りかけ、示唆するのだろう。壮大な自然が人間にもたらすものを、自分も知りたい――野生への欲求が抑えきれなくなったのは、かつて少年時代、夏山で過ごすときに味わった解放感を“取り戻すべき懐かしいもの”として捉え直したからでもあった。彼を突き動かした衝動を、多くの読者は理屈を超えて共有するだろう。私もそのひとりだ。
木材と石でできた山小屋。5月のある朝、目を覚ますと雪が舞い、雷鳴が轟いた。ストーブの煙。雪の上の野兎の足跡。倒れた唐松。小鳥の温もり、生と死。おずおずと触れる山の諸相が繊細な筆致で描写され、と同時に、夜の闇の重さものしかかってくる。ところが6月、牛飼いたちや牧畜犬が現れると、山の生活は意外な展開を見せてゆく。
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source : 文藝春秋 2022年5月号