なぜ日本に健全な野党が根付かなかったのか?

日本左翼100年の総括①

池上 彰 ジャーナリスト
佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
ニュース 社会 政治 昭和史

共産党、社会党、新左翼……彼らは何を残し、何を壊したのか

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池上氏(左)と佐藤氏(右)

凄惨を極めた左翼の内ゲバ

 池上 この7月15日に日本共産党は結党100周年を迎えます。全国の党員は公称約27万人ですが、かつて50万人近くいたことを考えると、相当減りました。機関紙「赤旗」の購読者数も100万を割り込み、すっかり左翼に元気がなくなったように見えます。

 佐藤さんと私は昨年上梓した『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945─1960』、『 学生運動と過激派 1960─1972』(いずれも講談社現代新書)で共産党の問題点を徹底的に指摘しましたが、それにも無反応です。以前なら「反共主義者の謀略だ!」などと批判の大キャンペーンを張ったでしょうに。

 佐藤 ただ、日本共産党は革命によって共産主義社会を実現するという究極の目標を掲げ、この100年間、それを撤回したことはありません。また、「敵の出方論」に立った暴力革命路線をいまだに放棄していないとみられます。「反戦平和」といった甘い言葉に騙されがちですが、共産党は普通の政党ではないのです。しかし、今では現役の共産党員ですら、党のこうした本質を知らない。これは憂慮すべきことです。

 池上 たしかに、戦前から数えて親子で4代目となる党員もいて、若い人の中には「親が共産党員だったから」との理由で入党する場合もあるようです。そういう人たちは党の歴史をよく知らないでしょうね。

 日本の左翼は共産党と社会党が対立し、1960年代以降は社会党の傘のもとで社青同解放派など新左翼が登場してきた歴史があります。つまり「共産党」「社会党」「新左翼」が三つ巴で覇権争いをしてきました。しかし1972年の連合赤軍あさま山荘事件を契機に運動は退潮し、1991年のソ連崩壊後は政界でも左派はじり貧です。今の若い人は左翼のイメージを描きにくくなっているのかもしれません。

 佐藤 しかし近い将来、左翼勢力が再び台頭する時代が来る可能性があると、私は予想しています。

 例えば、新型コロナによって貧困や格差の拡大が深刻化しています。さらには現在のウクライナ戦争の影響でインフレが進行し、アンパン1個が250円、カップ麺1個が300円になっても不思議ではありません。

 貧困と経済格差の解消は、もともと左翼が掲げてきたテーマです。また、世界戦争の脅威が高まるにつれ、もう1度“平和の党”だと偽装する。そこに魅力を感じて取り込まれる層が増えてもおかしくはありません。

 池上 まさに、ロシア革命が起きた原因である「パンと平和」と同じ状況ですね。1917年当時のロシアも飢餓の苦しみと、第1次世界大戦への不安があった。

 佐藤 結局は食い物と平和。この2つが揺らいだときに革命は起きますから。

 池上 一昨年、マルクスの新しい解釈をもとに地球環境問題を論じた斎藤幸平氏の著書『人新世の「資本論」』がベストセラーとなったのも、そうした関心の高まりと考えられます。また、今年5月には日本赤軍の重信房子・元最高幹部が20年の刑期を終えて出所しましたが、支援者の熱烈な出迎えぶりを見ていると、左翼を「終わったもの」とするのは早計ですね。

 佐藤 過去の歴史において、左翼は何を残し、何を壊してきたのか――その功罪を正しく知ることが、この格差と戦争の時代において何よりも重要なことなのです。

55年体制以降、自民党一強支配を招いた左翼の体たらく

 池上 まずは現在の日本の政治状況を見てみましょう。この記事が出てまもなく参院選が投開票日を迎えます。結果はわかりませんが、野党が存在感を発揮することはないでしょう。振り返れば、自民党と社会党との二大政党制である「55年体制」が終わった1990年代前半以降、野党は離合集散を繰り返しながら、徐々に勢力を低下させてきました。

 一体なぜ日本には「自民党とは別の選択肢」たりうる野党が育たなかったのか?……この問題を考えてみましょう。

 佐藤 昨年の衆院選の際には立憲民主党に対して共産党が「限定的な閣外からの協力」に合意し、左派の連携を演出して見せました。しかし、結果は両党ともに議席数を減らし、手痛い敗北を喫しています。

 比例代表の得票数を単純に選挙区で割れば、共産党は1選挙区につき1万5000票を持っているから、立憲民主党としてはその票が欲しい。個別の選挙区事情では、共産党と縁を切れない立憲民主党の議員がたくさんいる。でも、それでかつての社会党のように国会の3分の1を取れるかというと、それはないでしょう。

 池上 戦後間もない1947年に行われた総選挙では社会党が第1党となり、片山哲が首相を務めています。1980年代後半には土井たか子委員長のもとで議席を伸ばし、1994年には自社さ政権が発足。村山富市首相を出しました。ただ、その後は勢力を減じ、今の社民党は衆議院と参議院でそれぞれ一議席を持つのみ。まさに存亡の危機に瀕しています。フランス社会党やドイツ社会民主党など、ヨーロッパ各国では社会民主主義を掲げる政党が根付き、いまも存続しているのとは対照的です。

 なぜこんなことになってしまったのか?

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土井たか子

田中角栄という社会民主主義者

 佐藤 一番大きいのは、自民党が社会民主主義を換骨奪胎して吸収してしまったことです。つまり、日本型の社会民主主義を最も体現していたのが、自民党だった。

 池上 それは言えますね。

 佐藤 GHQは日本の官僚機構、とりわけ旧内務省に警戒心を持っていました。大きな政府による政策、つまり官僚機構が中心になって富の再分配を行う西欧型の社会民主主義政策を取ると、再び官僚機構に権力が集中して肥大化してしまう恐れがある。そこで、中央の富を、公共事業を通じて政治家が再分配するという構図を作り出した。つまり日本型の社会民主主義とでも呼べる仕組みを導入したわけです。そうすれば官僚の力を抑制できる。「日本列島改造論」を唱え、土建事業による再分配を進めた田中角栄は、実は日本型社会民主主義者の代表と言えますね。

 池上 なるほど。私が、自民党における社会民主主義者と聞いて思い出すのは、亀井静香です。1994年、彼が運輸大臣の頃、JALがコスト削減のために客室乗務員をアルバイトにしようとしたことがありました。それに激怒した亀井が「労働条件の格差は緊急時のチームワークに影響を及ぼす」と言って、ストップをかけた。やがてアルバイトから正社員に昇進する制度が導入されたのですが、社会民主主義そのものの発想ですよね。

 佐藤 ただ、公共事業は利権と化し、田中角栄を見ても分かるように腐敗政治になってしまう。

 そこで「聖域なき構造改革」を掲げて、公共事業費を大幅に削減したのが小泉純一郎でした。社会政策を行わずに利潤を上げる、つまり小さな政府のもとで競争を促す新自由主義の立場で次々と政策を行っていきます。こうして自民党の中で社会民主主義の勢力が終焉を迎え、新自由主義に一本化していったわけです。

 池上 いわゆる与党内の疑似政権交代ですね。それで完結してしまい、野党が選択肢とはならなかった。

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田中角栄

「左にウイングを伸ばした」自民党

 佐藤 一方、政権与党の中で社会民主主義に非常に近い価値観を代表する勢力として、公明党が存在します。これも日本に左翼政党が育たない理由の一つです。公明党は創価学会の宗教的価値観を基礎にしているわけですが、その主張は社会民主主義に近い。

 考えてみると、自公連立政権は本当に不思議です。自民党は安保法制を改正して敵基地攻撃能力を持ち、新自由主義的な政策を進めたいと思っている。一方の公明党は創価学会の影響下で絶対平和主義を掲げ、社会民主主義に似た発想をしている。西田哲学の絶対矛盾的自己同一みたいな現象ですが、それでも両党は権力を絶対に手放したくない一心で組んでいる。

 池上 1986年の衆参同日選挙で、自民党が農村部だけでなく、都市中間層の支持を取り込んだことで圧勝し、当時の首相だった中曽根康弘が「自民党は左にウイングを伸ばした」と誇らしげに語ったことがありました。それと同じで、社会民主主義的な政策にまで自民党が守備範囲を広げたことで、それを本来担うべき左翼政党が育たなかったと言えますね。

 佐藤 逆に、今の自公連立政権が崩れる方法は簡単で、自民党が右にウイングをグッと伸ばせばいいんです。昨年の自民党総裁選で、自衛隊の隊友会と佛所護念会、神道政治連盟の保守系の3団体が高市早苗さんを支持しました。もし彼女が総裁選に勝っていれば、自公体制にヒビが入り、野党も政権交代を狙えたと思います。

 池上 左派系野党に人気がないのは、理屈っぽくエリート臭がすることもあるのでは。それに比べて自民党は、地方で身体を張り、苦労して這い上がって議員になった人が多いので、地方の支持を得やすいですよね。

 佐藤 自民党の支持基盤は、いわゆる「マイルドヤンキー」に近いですからね。地元に留まって若いうちから家庭を築き、地元の企業に勤める。そうした地元密着型のマイルドヤンキーを取り込む力は、残念ながら立憲民主党にも国民民主党にもない。もちろん共産党にもない。自民党の標榜する新自由主義的な政策に対抗するという意味では、俄然、左翼の存在が光ってくるのですが、どうしても広範な支持層を獲得する手腕において、自民党とは圧倒的な差がついてしまうんです。

社会党没落のきっかけは社会主義協会のパージ

 池上 ただ、左翼政党が育たなかったのは、そもそも共産党と社会党の側に大きな問題があったからです。その点を考えましょう。

 佐藤 私は、社会党の低迷の始まりは1970年代後半に社会主義協会の人たちが社会党内部でパージされたことがきっかけだと考えているんです。

 池上 それはよく分かります。ここで読者のために少し迂回して説明しましょう。社会主義協会は社会党の中でも最大派閥を成していた理論家の集団です。戦前の第1次共産党と袂を分かった「労農派」の系譜に属し、山川均、向坂逸郎などが代表的な存在です。この社会主義協会はマルクス・レーニン主義のもとで、戦後は世界に先駆けて、資本主義から社会主義に平和的に移行する「平和革命論」を唱えたことでも知られています。

 ちなみに「労農派」は、1920年代から30年代にかけて、日本の資本主義をめぐって行われたマルクス主義者たちによる「日本資本主義論争」を機に生まれました。非共産党系の社会主義者たちが「労農」という雑誌を創刊したことからその名がついています。

 一方、「労農派」と対立していたのが「講座派」と呼ばれる集団です。岩波書店から刊行された論文集「日本資本主義発達史講座」の執筆陣であった野呂栄太郎や山田盛太郎ら共産党系の理論家の集団です。「労農派」と「講座派」は左翼史における二大潮流とも言え、日本における資本主義の捉え方から革命に対する考え方に至るまで、大きく違っていました。

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source : 文藝春秋 2022年8月号

genre : ニュース 社会 政治 昭和史