「鎌倉殿」の死生観

本郷 恵子 東京大学史料編纂所所長
本郷 和人 東京大学史料編纂所教授
エンタメ テレビ・ラジオ 歴史

頼朝亡き後、さらに壮絶な殺し合いが始まる――

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本郷和人氏と恵子氏

三谷幸喜さんの脚本ならでは

 本郷和人(以下、和人) NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が後半戦を迎え、編集部から2月号に続いて夫婦対談の依頼がありました。

 本郷恵子(以下、恵子) なんだかお話しするのは久しぶりね(笑)。

 和人 我が家は主従関係がはっきりしていまして。恵子さんは私の上司で東大史料編纂所の所長。いろいろお忙しい最中に、私が恵子さんを対談へとなんとか口説いてきましたよ。さて、ここまでドラマをご覧になっていかがですか。

 恵子 手紙や合戦の報告書などが出てくるシーンがとてもいいですね。鎌倉時代は満足に読み書きできない武士が多かったですが、御家人たちが懸命に書いた個性豊かな手紙を画面に映しだし、興味深く伝えています。汚い文字で書き殴られた文を読んだ源頼朝が「田舎武士め」と吐き捨てたりしてね。あと、北条政子を演じる小池栄子さんは立派な役者さんになられたなぁと。

 和人 政子にピッタリだよね! それに佐藤浩市さんの上総広常かずさひろつねは「新選組!」の芹沢鴨を彷彿とさせる悪役ぶりでかっこよかったです。中村獅童さん演じる梶原景時かじわらかげときもいい。

 恵子 獅童さんの景時は人相が悪くて本当に悪役に見えるわ(笑)。私は北条時政役の坂東彌十郎さんもうまいなあと。それから文覚、市川猿之助さん。歌舞伎役者ばかりを推しているわけではないのだけれど、あれはじつに怪しい僧で、いかにもっていう感じが目を引きます。

 和人 推しでいえば、私はガッキー(新垣結衣、八重役)だな。

 恵子 そんなことは誰も聞いていないわよ。それより印象的なのは上総広常が慣れない文筆に不器用ながらも励んだり、源頼朝の弟・範頼のりよりが畑仕事に精を出したりと愛嬌ある姿を見せておいて、有無を言わさず殺す。そのギャップが鎌倉時代の血なまぐささをより際立たせている。三谷幸喜さんの脚本ならではですね。

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7月17日(日)午後8時~  NHK総合ほか 第27回「鎌倉殿と十三人」
©NHK

義経は「つわものの道」を破った

 和人 前半を振り返ると、源義経が従来と解釈が違っていましたね。

 恵子 私は「サイコパス」みたいな人物像もありかなと思いました。

 和人 “三谷義経”でしたね。私たち歴史研究者は三谷さんのようにその人物の心の内までは入っていけない。研究者として指摘できるのは、鎌倉幕府という組織の構造のなかでそれぞれの人物がどういう立ち位置だったかということ。

 その点からみても、義経は変な人なんですよ。そもそも軍事編成を完全に無視していました。源平合戦では、総大将の源頼朝は鎌倉から動かない。戦場で源範頼と義経が御大将で、実際に戦場で指揮するのはその下の梶原景時、和田義盛わだよしもり土肥実平どいさねひらといった百戦錬磨の御家人たち。この軍事編成は織田信長の時代まで変わりません。ところが、ドラマを観ても分かるように、上に居るだけで何もしなくていいはずの義経は積極的に戦場で、武者働きをしていました。

 恵子 良くも悪くも型破りというか。トップの現場介入はいつの世もあるものね……。

 和人 それでいて戦上手だったのか? と言われると、私はそうは思いません。武士が守るべき道徳観念「兵の道」に背いているからです。壇ノ浦の戦いで平家側の舟を動かすかじ取りを射殺していたのが、その典型例といえます。

 恵子 今の戦争でいえば、民間人虐殺ですよね。この時代でも武士の礼節から外れた行動といえます。

 和人 屋島の戦いでは、暴風雨のなか、みんなに止められるのを振り切り渡辺津(大阪府)から出航を強行しました。暴風に流されて目的地の屋島(香川県)にたどり着けず、命からがら徳島に着く。『吾妻鏡』によれば、午前2時に出発して午前6時に着いたとあるから時速20キロから30キロぐらい。実はある歴史番組の企画で、屋島のまわりを舟に乗って同じスピードを体感してみたことがあるんです。僕みたいに運動神経が鈍い人は立っていることもままならないほどでした。

大河を観て気づいたこと

 恵子 冷たい海に落ちたら平家の気持ちも分かったかも?

 和人 救命胴衣を着ていましたよ、恵子さんを残して死ねませんから。義経のときはもっと小さい舟にみんながひしめき合って乗っていたはず。さらに20キロの鎧を着ているから落ちたら確実に沈み、死んでしまう。そんな状況で舟を出すわけですから無謀すぎます。結局屋島に一気に進撃して戦には勝ちましたが、あのときは運が良かっただけでしょう。その後、源頼朝に追われ舟で兵庫県の大物浦だいもつのうらから西国に向かうも、嵐に見舞われ船が転覆し西国行きは失敗に終わりました。それで奥州平泉に逃げるしかなかったのです。

 恵子 前半で神回と言われたのが上総広常の死でした。双六中に梶原景時に刀で殺されて。あれは天台宗の僧侶慈円じえんが書いた歴史書『愚管抄』にそう記録されています。これからさらにドラマを楽しむために鎌倉幕府と京都の朝廷との関係を知っておくと良いかもしれません。

 和人 おかげさまで大河をきっかけにいろんなことに気づかされています。武士は政権の正統性を獲得するうえで3つのやり方があったんだなと。1つ目が平清盛の方法で、朝廷に身を置き、貴族として出世して正統性を得ようとしました。自民党に入って改革をやろう派みたいなものです。2つ目が頼朝によるもので、鎌倉を拠点として距離を置きながらも、朝廷を注視し、関係は失いませんでした。

 恵子 後白河上皇は頼朝を取り込もうと頼朝に上洛を何度も求めましたが、彼はそれになかなか応じなかった。だから、平家と違って上皇に振り回されませんでした。

 和人 当時は京都へ行くのに2週間かかりましたから、物理的な距離がもたらす効果も大きかったと思います。頼朝がついに上洛したあとの1192年に、朝廷から征夷大将軍に任命されました。ここで政権の正統性を得たんです。あれ、そうなると鎌倉幕府の成立はやっぱりそのときでいいのかな?

 恵子 前回の対談では頼朝が東国の武士を束ねた1180年説を唱えていたけれど。先祖返りね(笑)。

 和人 これも大河の影響ですね。最後の3つ目が上総広常ら東国武士たちの考え方。朝廷を重視する頼朝に対して、朝廷に頼らず「武士の、武士による、武士のための」政権を確立する。「関東は関東でやろうぜ」という「東国国家論」です。広常は、富士川で頼朝追討軍に勝ったあと、頼朝に「京都に上るよりも東国をしっかりと固めましょう」と進言しています。朝廷に配慮する頼朝と広常の路線対立がみてとれ、頼朝は組織を束ねるうえで広常が邪魔になったのでしょう。

 恵子 例えるなら、鎌倉幕府は地方で成功した地場産業ですよね。中小企業が一部上場企業になる過程でいろんな葛藤がある。「全国展開して一部上場企業に上がるぞ」というのが頼朝の方向性で、対して広常らは「もっとローカルで自立してやろうよ」という考えでした。

 和人 私は、北条義時は頼朝ではなく広常の考えを引き継いだとみています。三代将軍の源実朝が頼朝路線を選択して朝廷に接近すると、実朝を排除したわけですから。

 恵子 義時の子である泰時は、将軍を政治にタッチさせない「君臨すれども統治せず」の形にして御成敗式目を制定しました。将軍よりも武家独自のルールによって政権を安定させる狙いがあったと思います。

 和人 それはあるかもね。義時とその子孫たちが賢かったのは、「俺たちは鎌倉で地道にがんばろう」と、朝廷に権威づけられた将軍に最後までならなかったことです。

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政子と義時の関係は? ©NHK

なぜ、殺し合うのか?

 恵子 ドラマでは鎌倉殿がついに亡くなりました。頼朝は、右手に痺れを覚え落馬するまえ、北条時政に対して疑心暗鬼になっていましたね。

 和人 北条氏の正史『吾妻鏡』は、上総広常と頼朝という鎌倉時代初期の代表的な2人の最期を詳しく伝えていません。私は、北条側の頼朝暗殺説は捨てきれないと思います。

 恵子 時政は政治的に干されていましたからね。頼朝が政治的に1番信頼したのは、大江広元おおえのひろもとら文官です。御家人のなかでは頼朝・頼家の乳母の一族である比企ひき家が最も重用されていました。

 和人 頼朝の晩年に時政が政治的に重要なポジションにいたら、北条氏に有利な13人の合議制をわざわざつくるはずがないと思います。

 暗殺説の根拠となるのが曾我兄弟の仇討です。曾我十郎祐成すけなりと五郎時致ときむねは、父の敵である工藤祐経を討ち本懐を遂げますが、『吾妻鏡』にはその続きが書いてある。〈時致は(頼朝の)御前をめがけて走り参った。将軍は御剣を取り立ち向かおうとされたが〉とある。つまり、仇討に関係のない頼朝の命も狙ったのです。時政は曾我兄弟の面倒を見ており、五郎時致の元服のときの烏帽子親を務めていた。時致の「時」は時政の「時」からもらったもので関係は深い。時政が頼朝暗殺に関与した可能性は十分あるといえます。

〈7月17日放送のあらすじ〉
土御門通親(関智一)から源頼朝(大泉洋)の死を知らされ、思案する後鳥羽上皇(尾上松也)。鎌倉では宿老たちが居並ぶ中、新たに鎌倉殿となった源頼家(金子大地)が自身の方針を表明。これに北条時政(坂東彌十郎)と比企能員よしかず(佐藤二朗)は共に困惑し、梶原景時(中村獅童)は賛辞を贈る。その様子を政子(小池栄子)に報告した義時(小栗旬)は、弟・北条時連ときつら(瀬戸康史)と愛息・頼時(のちの泰時 坂口健太郎)を頼家のもとへ送り出し……。

 恵子 将軍・頼朝はカリスマ的存在で何事も一声で押し進められましたが、跡を継いだ息子の頼家は父に比べるとあまりに心もとない。そこで有力御家人13人による合議制を導入し、政権維持をはかります。これがまた波乱の幕開けですね。

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source : 文藝春秋 2022年8月号

genre : エンタメ テレビ・ラジオ 歴史