複雑怪奇な国際政治を冷静に分析
ウクライナ戦争が長期化している現状で、日本の国家戦略を誤らないためにも本書を熟読する必要がある。京大教授をつとめた高坂正堯氏(1934~96年)は、現実主義(リアリズム)の立場から国際政治を分析した優れた知識人だ。高坂氏は国際関係とは、「価値の体系」「利益の体系」「力の体系」が複雑に絡み合った動的体系と考える。
〈各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。したがって、国家間の関係はこの三つのレベルの関係がからみあった複雑な関係である。国家間の平和の問題を困難なものとしているのは、それがこの三つのレベルの複合物だということなのである。しかし、昔から平和について論ずるとき、人びとはその一つのレベルだけに目をそそいできた〉
この観点からウクライナ戦争に対する日本の政策を見てみよう。「価値の体系」に関しては同盟国である米国やG7諸国と日本は共同歩調をとっている。日本のマスメディアももっぱら「価値の体系」からウクライナ戦争について報じ、ロシアを厳しく断罪している。しかし、「利益の体系」から見ると日本はかなり独自の行動をとっている。まずロシアの飛行機に対して日本はG7諸国で唯一領空を開放している。日本がシベリア上空を通ってヨーロッパとの間で人と物を移動することに利益を見出しているからだ。また石油と天然ガス採掘プロジェクトであるサハリン1、2の権益を日本は維持する方針だ。さらにロシアに入漁料を支払ってサケ・マスを獲る仕組みも維持されている。「力の体系」に関しては防衛装備輸出三原則で紛争地域に武器を送ることができないので、日本のウクライナに対する軍事的貢献は極めて限定的だ。総合して考えると、日本の対ロシア政策は決して米国と一致しているわけではない。
「複雑怪奇」なのは当然
しかし、日本の政治家やマスコミ関係者は、総合的に国際関係を捉えることが苦手だ。そのため戦前には悲喜劇的事態が起きた。
〈昭和十四年(一九三九)八月の末、独ソ不可侵条約の締結の報に接した平沼(騏一郎)内閣は、「複雑怪奇」という有名な言葉を残して退陣した。強い反共産主義のイデオロギーを持ち、みずから、ヨーロッパを共産主義から守る砦であると自認するドイツ、しかも日本と防共協定で結ばれているドイツが、その主要な敵であるソ連と不可侵条約を結んだことは、権力政治的視野に欠ける日本の政府と国民を、文字どおり周章狼狽させたのであった。/少し誇張して言えば、この「複雑怪奇」という一語に、戦前の日本外交の失敗は現われている。なぜなら、国際政治が複雑怪奇であるのは当然のことにすぎない。それは、とくに驚くに値するものではないし、まして内閣の辞職の理由になるものではとうていない〉
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source : 文藝春秋 2022年9月号