吉行あぐり107歳の看取り記

没後1年、母親の最期の日々を初めて明かす

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長く生きることの楽しさと恐ろしさを知った介護の7年

吉行和子氏 ©文藝春秋

 母が亡くなって、いつの間にか1年の月日が過ぎてしまいました。生きている頃は1日に何度か、同じマンションにある部屋を訪ね、様子を見ることが私の生活の一部でした。100歳目前までは元気そのもの。こうやって年を取るのは素晴らしいことだな、と感じていました。

 しかし、寝たきりになってからは、不満一つ表に出さず我慢をしながら生きていました。それを見ているのはとても辛く、私にとって修行のような時間でした。母にしても、寝たきり状態で人に迷惑をかけながら生きていたくない、早く終わりたいと思っていたはずです。昨年の1月5日に亡くなったとき、悲しさよりも何よりも「終わってよかったね」と、母に声をかけてあげたい気持ちになりました。

 吉行あぐりは、明治40(1907)年生まれ。作家・吉行エイスケと結婚し、一男二女に恵まれる。長男は作家の吉行淳之介(平成6年没)、長女が和子(80)、次女が作家の吉行理恵(平成18年没)。エイスケの死後、再婚している。あぐりは、美容師として活躍し、昭和4(1929)年、山ノ手美容院、戦後は吉行あぐり美容室を開き、97歳まで現役として働いた。その半生は、NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」のモデルともなる。平成27年1月5日死去。享年107。

 吉行家は普通の人から見ると、おかしな家族だったと思います。私がもの心付く頃には、母は美容室で働いていましたから、世話をしてもらった記憶はほとんどありません。家庭のことはお手伝いさん任せで、みなさんが知っているような温もりを知らなかったのです。その影響なのでしょうか。長じてから母と接するのに緊張してしまい、他人様の方が親しみを感じていたくらいです。

 そうは言いながら家族の仲は良かった。私も妹も母と同じマンションに住んで、日に何度も行き来をしていました。ところが、それぞれが気ままに生きているものですから、お互いの生活にはほとんど干渉しません。母からの連絡の方法も独特です。用事があるときは、新聞に入っているチラシの裏に「部屋に来て」といったメモが書かれ、ポストに入っているのです。

 3人とも大晦日の「紅白歌合戦」が大好きでしたが、一度も一緒の部屋で見たことはありません。年末くらい3人で一緒に過ごせばいいようなものですが、1人で見るのが一番楽しいというのが共通した考えでした。元日になって母から「昨日の森進一は良かったわ」などと感想を聞けば、私や妹が誰それが良かったと答えることが普通だったのです。

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source : 文藝春秋 2016年04月号

genre : ライフ ライフスタイル