撮影で限界を迎えたとき名監督ふたりがそばにいました
原田さん
母と向き合う余裕
今思えば、映画『百花』の出演は昨年他界した母の一言がきっかけになっているような気がします。
母・ヒサ子に認知症の症状が表れはじめたのは、10年ほど前、80歳を過ぎてから。銀行のキャッシュカードの暗証番号が分からなくなることが何度か続いたことがあって。そんなある時、体調を崩して入院したことがありました。そこで突然、母が病室のベッドで言ったのです。
「あたしね、15の時から女優やってるの」
私はとても驚きました。「いや、それはお母さんじゃなくて私のことでしょ」と内心思いつつも、あまりに自然な言い方だったので「そうなんだ」と返事しました。
その後、介護施設を訪ねたときに「今日、何してたの?」と聞くと、「取材」とか「みんなとお芝居やっているの」などと返事が返ってきて。母がなぜ、自分のことのように娘の人生を語りはじめたのか、考えをめぐらす日々が続きました。
子どもの頃、母の生い立ちを聞いていましたが、自分のことで精一杯で、母のことをあまり深く考えたことはありませんでした。
私は中学生で観た映画『小さな恋のメロディ』に魅せられ15歳で映画の世界に飛び込みました。母にはずいぶん心配させたと思います。若い頃の私は傲慢でワガママ。きっとたくさんの愛情で見守ってくれていたのに、「もういいから! お母さんは黙っていて」と、邪険にしたこともありました。近年は子育てを終えたことで、母と向き合う余裕ができたのかもしれません。
認知症の母を捉えた映画
ⒸMiekoHarada
母を知る旅に出て
母の一言をきっかけに私は母を知る旅に出ることになりました。
特にやって良かったことは写真アルバムの作製です。両親の写真を集めてみたら段ボール2箱分はあって保管していても全部は見ないかもしれないなと。
そこで、各時代のベストショットを選び、時系列に並べた1冊のアルバムを作ってみました。すると、両親の子ども時代から結婚して歳をとるまでの軌跡を、大河ドラマを観るように振り返ることができて。母をひとりの女性として客観的にみる貴重な体験になりました。
昭和4(1929)年、母は千葉県館山市の漁師の家で12人兄弟の10番目として生まれました。母の母、つまり私の祖母は、13人目のお産のときに44歳で亡くなっています。母は10代で戦争を経験し、学徒動員により軍需工場で零戦のボルトを締める作業をしたそうです。16歳で終戦を迎えると、20代でオフセット印刷工の父と結婚。その後パートで働きながら3人の子供を育てました。
私が初めてオーディションを受けたいと言ったとき、「私は勉強も芸事も好きだったけど、戦争があってできなかった。あなたたちは好きなことをやれる時代にいるのだから、好きなことをやっていいのよ」と話してくれたことがありました。
母は、私が俳優になって以来、子育てをしながら仕事をするようになってからも、ずっとそばでサポートしてくれていました。母を知る旅を通して、母は私と一心同体となり、私を通して世界をみていたのかもしれないと思うようになりました。だから「15の時から女優やってるの」という言葉が出てきたのかもしれません。
だったら女優であることを“既成事実”にしちゃえばいいんだ――。
そうひらめいた私は、iPhoneで母を撮りはじめました。撮影には、長男でⅤFXアーティストの石橋大河と妻のエマニュエル、長女でシンガーソングライターの優河、次女で女優の石橋静河らも協力してくれました。こうして生まれたのが、ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』です。2020年3月に公開し、母は90歳で映画デビューを果たしました。
映画のエンドロールには「全ての母に捧げます」という言葉を贈りました。母を知る旅に出てファミリーヒストリーに触れ、子どもたちと映画まで制作することになって。祖母から母、私、そして子どもへと、命のバトンが引き継がれて私は今ここにいるんだと、強く意識するようになりました。
生きとし生けるもの、みんなそうやって代々命を繋いできたんだなと。それで全てのお母さんに「ありがとう」と感謝したいと思ったんです。もちろんお父さんにも。
映画公開初日に『百花』の監督の川村元気さんがいらしてくれました。映画をご覧になって、認知症が進んでいく様を間近でみた私であれば、映画で描きたいものを理解して演じてくれると思ってくださったみたいで、出演のお話をいただきました。母の言葉がまわりまわって映画に出ることになるなんて。母のおかげで素敵な作品に出会えました。
全国東宝系で公開中
Ⓒ2022「百花」製作委員会
私が記憶を失ったら
『百花』で私が演じる葛西百合子は女手ひとつで息子の泉(菅田将暉)を育てたシングルマザー。泉とはある過去の事件をきっかけに溝ができてしまいます。百合子が認知症を患い記憶を失っていくなか、泉は母との思い出を蘇らせ封印された記憶に手を伸ばしていく。そんななか、百合子は「半分の花火が見たい……」とつぶやくようになります。
百合子は認知症を発症すると、スーパーマーケットで徘徊したり、失踪して小学校で発見されたり。川村さんの祖母が百合子のモデルなのですが、本当に小学校に行っちゃったことがあったそうです。なんで小学校なのかを考えてみると、川村さんの祖母にとってそこにかけがえのない思い出があったのかもしれない。そう、百合子にとって小学校は泉との思い出が詰まった場所でした。
母を見ていても、鮮烈な思い出は心の奥底に記憶として残っていたように思います。認知症になっても記憶は残っている。ただ、記憶をアウトプットする回路のようなものが途切れているからなのか、うまく取り出せないだけ。「あの洋服が似合っていたよね」とか「あの場所が好きだったよね」とか、共通の思い出に触れると、記憶が蘇ってスラスラと話してくれました。
娘によく言っているのですが、私が色んなことを忘れて困ったら「はい! 次、本番です!」と言ってみてほしい(笑)。私に染みついた言葉ですから1番効くはず。「カメラどこ?」と尋ねながら、シャキッとすると思います。
記憶を引き出すのは共通の思い出がある身内でないと難しいでしょう。それでも、施設に預けたことは後悔していません。介護士さんから「ヒサ子さんがいるとほんとうに助かるんですよ」と言われたことがありました。どうやら本人はわざと笑わせるつもりはないのだけれど、いきなりちょっとおかしなことを言ってみなさんを笑わせては施設の雰囲気を明るくしていたそうなんです。母がもとから持っているチャーミングさや人柄の良さは消えていないんだって思いました。
私は仕事で介護士さんに任せきりで母の面倒をみられず、罪悪感がありました。でも、母が施設内で皆さんの癒やしになっていると知って、ひとりでお家にいるより良かったかもしれないと、私も救われた気持ちになりました。
認知症は悪いことばかりじゃない。逆に認知症のおかげで良い方向に転がることもあるんだなって。いろいろと思い残すことはありますけど、親のことをちゃんと知って見送ることができて良かったです。
そして有難いことに、『女優 原田ヒサ子』は8月20日からネットフリックスで独占配信されるようになりました。
チラシなどにも使った映画のメインビジュアルは、母が1番お気に入りだった色留袖の着物を着て撮った写真です。撮影当時、久しぶりに着物に身を包んだ母は、グンと気持ちが上がってとても華やいだ表情をみせてくれました。9月からは香港や台湾での配信も決まりました。亡くなってから花が咲きはじめていてなんだかイタリアの画家モディリアーニみたい。しかも、いきなり国際俳優デビューです(笑)。
「私の何がダメなの」
正直、『百花』の撮影は大変でした。記憶を失っていく姿をリアルにみせる60代と20年以上若いころの百合子の両方を演じるなど、いろいろなチャレンジがあり、冒険でもありました。
でも、何がつらかったって川村監督からなかなかOKが出ないことです。本作品はワンシーンをワンカットで、長い間ずっとカメラを回し続けて撮るから具体的な修正点を言ってくれないと改善しようがない。なのに彼はじっと黙っていて、ただ「もう1回」と繰り返すばかり。撮影スタイルにこだわり過ぎたら絶対に失敗するでしょ、とも思って。「私の何がダメなの」と、何度も食ってかかりました(笑)。
監督は、目に見えているもの以上のものを写しとろうとしていたのだと思います。百合子は母親であると同時にひとりの女性でもあり、世間の一般常識では許されない行動をとります。その善悪だけでは割り切れない心の機微を表現するのはとても難しいことでした。監督は、人間の心の奥底から滲み出てくるものを丁寧にすくいとろうと、本当によく粘っていたんです。
Ⓒ2022「百花」製作委員会
30回のリハーサル
長野県諏訪湖で泉と花火を見るシーンの撮影もなかなかOKが出ませんでした。もうヘトヘトで肉体的にも精神的にも限界を迎えて。ふと空を見上げたら、溝口健二監督、黒澤明監督、私の恩師である演出家の増村保造さんが見守ってくれているように感じました。半分向こうの世界に行っていたのかもしれません(笑)。それで、あ! 頑張ろうと思って、もう1回撮影したらOKをもらえました。カットがかかった瞬間、泉(菅田さん)の胸で号泣していました。
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source : 文藝春秋 2022年10月号