私は普段、現代美術作家という肩書きで紹介されている。しかし私自身は腕の立つ職人であると内心思っている。私が25歳でニューヨークに住み着いた頃、そこで現代美術という表現領域があることを知り、この世界に身を投じることにした。そこには混沌としながらも広い表現領域を促す様な、自由で開かれた世界があると思えたからだ。私はそこで、全く門外漢の新参者として、どの様にこの世界に闖入すべきかを思案し、計画を立てたのだ。その時に思ったのは私の取り柄とは何だろうという事だった。私には手に職がある、写真という職人技だとその時思ったのだ。この写真という技を駆使して、現代美術という世界に殴り込みをかけようと思い立ったのだが、思えばその当時、写真はアートではないと思われていた。よしんばアートだとしてもアート界の二流市民だと思われていた。よーし、二流を一流にのし上げてみせようではないかと、若気の至りで息巻いてみたのだ。
写真は中学1年生の時、父親が買ってきた高級機マミヤ6を勝手に譲り受け、鉄道写真にのめり込み、習熟に習熟を重ね、高校では写真部、大学では広告研究会で研鑽を積み、ロスアンジェルスの美術大学には2年飛び級で入学していた。在学中、大型木製カメラの技法を習得し、特にモノクロ銀塩写真の教祖的存在である、アンセル・アダムスの現像処方を全て試して、私の独自の現像液処方とプリントのトーンを編み出した。その技法は職人的な勘に裏付けられたものだ。美しい陽画を作るには美しい陰画を作らねばならない。陰画とはネガのことだ。白から黒の間には無限の階調がある。その階調を10段階に分け、美しいプリントに仕上げるための3段階分の光を選び取るのだ。露出と現像の匙加減、これは経験値の積み重ねによる勘によるとしか言いようがない。
良い職人は、どの様な業種でも、みなこの独特の勘を持っていると私は思う。庭師の仕事をするときの私は、庭の設計図などは描かない。一番中心となる重要な石、景石(けいせき)と呼ばれる石を持ち込み、庭の中心を外して据えてみる。その時私は石の声を聞く。どの様にどちらに向けて、どの程度深く、その石を据えるか。それは勘に頼る他ないのだ。
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source : 文藝春秋 2022年11月号