編集工学研究所所長でイシス編集学校校長をつとめる松岡正剛氏(1944年生まれ)は、日本の政治、経済、学術、文化などのエリート層に影響を与えている超一級の知識人である。その実質的影響力と比べるとマスメディアでの扱いは地味だ。松岡氏自身が知的質を維持するためにはマスメディアによる大量消費から距離を置く必要を自覚しているからだと思う。評者は内閣情報調査室や公安調査庁の若手インテリジェンス・オフィサーには松岡氏の作品を熟読することを勧めている。評者の手許にある『知の編集工学』は、2019年の第六刷であるが、本書が刊行から20年経っても読み継がれている古典の地位を確立していることを意味する。
まず、松岡氏は情報が編集と不可分であることを指摘する。
〈いま、われわれは膨大な量の情報にかこまれ、おびただしい数のメディアにさらされている。こんな大量の情報に一人が対応することはどう考えてもとうてい不可能だ。/そこで、誰もが新聞やテレビや雑誌や書籍を日常的に利用する。目を走らせる。最近はBSやCSやインターネットや携帯電話でもニュースが手に入る。/(中略)世界中にガンジスの砂子のごとく溢れている情報からくらべれば、ごくごく一部にしぼられているのだから、しぼられているぶんだけ、ざっと目を通すにはとても便利になっている。だから、ひろいやすいのだし、読みやすい。とはいえ、そのニュースや記事をナマのままだとおもってはいけない。事実そのものではない。そこには編集が加わっている。しばしば新聞の読者やテレビの視聴者は、ニュース報道というものは客観的事実を伝えているとおもいがちであるが、けっしてそんなことはない。どんなニュースも編集されたニュースなのである。/新聞の記事は記者が書いている。記者が書けることは、平均すれば、事実のほんの一部だ。各紙で表現もちがっている。その記事のヘッドライン(見出し)も記者やデスクがつけている。「トンネル事故」と書くか「トンネルで惨事」と書くかでは、ニュアンスは変わってくる。同じ記事に「首相、苦悩の決断」とつけるか、「首相、ついに決断」とつけるかで、情報の表情は変わってくるのである。客観的事実をそのまま伝えるなんて、しょせん不可能なのだ〉
純粋に客観的な情報は存在しない。だから情報を読み解く際には、その背後にある編集方針の読み解きが不可欠になる。編集に無自覚なままテキストを読むことは、著者や編集者の意図的もしくは無意識の編集(場合によっては情報操作)を無批判に受け入れることにつながる。
情報をどう分節化するか
松岡氏は情報を読み解くに当たって分節化(アーティキュレーション)を理解することが不可欠と考える。
〈分節化は重要な編集の第一歩である。/私たち人間のスタートも分節化ではじまった。/最初、われわれは樹の上にいた。それがやがて草原に出て、直立二足歩行をするようになる。このとき最初の分節化がおこっている。たとえば手の指を曲げ、親指と他の四本指を対向させた。そうすると何ができるようになるかというと、まずモノがつかみやすくなる。サルに鉛筆を持たせると五本の指を同じ方向に並べたまま握りしめる。これでは鉛筆は操作しにくい。鉄棒も握りにくい。そこで親指だけを別の向きにして、他の四本と対向させる。/こうすると、モノが握りやすくなっただけではなく、親指と他の四本指をひとつひとつ対応させることができて、数が数えられるようになる。親指を支軸にして、これに人差し指、中指、薬指というふうに一本ずつ対向させれば、それが数を発生させることになるのだ。これが分節化の威力である。ドイツのマックス・ウェルトハイマーというゲシュタルト心理学者が二十世紀初頭に“発見”したことだった。ちなみに、このように指を折ることをデジットという。「デジタル」という言葉はここから派生した〉
情報をどう分節化するかによって世界の見え方が変わってくる。言い換えると切り口ということだ。ある現象を分析しても人によって異なる結論が導き出されることはよくあるが、そのほとんどの原因が分節化の違いである。同じ事柄をあえて別の基準で分節化することが物事を重層的に観る上で重要になる。
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