『塩狩峠』は、三浦綾子氏の代表作だが、元になった出来事があるという。塩狩峠は天塩と石狩の間にある険しい峠だ。宗谷本線が通っている。1909年2月28日の夜、塩狩峠にさしかかった上り列車の最後尾客車の連結器が外れ、後退をはじめた。偶然乗り合わせていた鉄道職員の長野政雄が線路に身を投げ出して下敷きになることによって客車を止め、乗客は救われた。長野政雄は旭川六条教会に所属するプロテスタントのキリスト教徒だった。
三浦綾子はこの話に触発され、日本基督教団出版局が刊行する月刊誌『信徒の友』にこの小説を連載した。『信徒の友』は神学者や牧師などキリスト教神学の知識をもっている人たちではなく、一般の信者を対象にした雑誌で、内容もわかりやすい。
三浦氏は、長野政雄の犠牲死に触発され、『塩狩峠』において永野信夫という人物を創る。永野は東京生まれで、10歳まで祖母のもとで育つ。キリスト教徒の母が祖母と仲が悪く、家を飛び出してしまったからだ。祖母の死後、母といっしょに暮らすようになったが、キリスト教については違和感を持ち続けた。永野には小学校時代からの親友の吉川修がいる。吉川に勧められ、北海道の鉄道会社の事務職として勤務するようになる。吉川には、ふじ子という妹がいる。ふじ子は、足に障害があり、肺病にかかっている。永野はふじ子に好意を寄せる。そのときに吉川から、ふじ子がキリスト教徒だということを告げられる。そこでもう一度、キリスト教について真剣に考える。結局、永野は洗礼を受けて、キリスト教徒になる。永野はふじ子に求婚し、ふじ子もそれを受け入れる。そして、結納のために札幌に向かう途中、塩狩峠で命を終えることになった。
〈汽車はいま、塩狩峠の頂上に近づいていた。この塩狩峠は、天塩の国と石狩の国の国境にある大きな峠である。旭川から北へ約三十キロの地点にあった。深い山林の中をいく曲がりして越える、かなりけわしい峠で、列車はふもとの駅から後端にも機関車をつけ、あえぎあえぎ上るのである。
(中略)
「このあたりは、なかなかひらけませんな。虎雄なんかは、札幌から出たことがないんで、一度このあたりも見せてやらなくちゃあ」
「虎ちゃんには、ぜひ会ってみたいですねえ」
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source : 文藝春秋 2015年6月号